<第2回応募作品>『胸ポケットのご本尊様』著者:福田 由美子
2007 / 03 / 09 ( Fri ) 約束の時間の五分前に、ウラシマさんはちょっと困ったような顔をして現れた。
困った顔をしているのは迷惑だからではない。そういう顔立ちなのだ。勿論、心の中が透けて見える訳ではないので、本当に迷惑なのかもしれない。疑い出せばきりはない。しかし今日の私は、彼が約束どおり来てくれた事だけで、素直に喜びたい気持ちなのであった。 男の人と初めて二人きりで出かける。 ありきたりに言えば「初めてのデート」と言うわけだが、私達はそんな呼び方をしてもいいような間柄ではなかった。 ウラシマさんは大学で心理学を勉強している大人の人で、私は中学三年生だ。そしてウラシマさんは私の家庭教師の先生なのだ。 それにしても今年の夏は雨が多い。まず梅雨明けが異常に遅く、夏休みになってからも、二、三日晴れたかと思うと、今度は台風が来て、そろそろ八月になるというのに、ちっとも夏が来た感じがしない。深大寺の森の向こうに見える小さな空も、灰色の雲に覆われている。 こんな事ならお母さんの言う通り傘を持ってくれば良かった。 私の母は心配性だ。出かける時なんか、忘れ物はないかとうるさくてしょうがない。ハンカチ、ちり紙、傘にバンドエイド、おまけにコンタクトの調子が悪くなった時のために眼鏡まで持って行けと言う。魔法のポケットがついている訳じゃあるまいし、流行のセミショルダーにそんなに入るはずがない。それでつい省略をするのだが、省略した物に限って必要になることが多く、悔しいけれど先見の明を認めざるを得ないという訳だ。 ウラシマさんが長身の体をかがめて、私の顔を覗き込みながら言った。 お土産屋さんを覗いてみますか? 彼はいま話題のメガネ男子だ。 眼鏡をかけた人というのは、角度によって顔が歪んで見えることがある。私は斜めにスライドしたウラシマさんの顔を見ながら、こんな事を思う。 眼鏡をかけた人ってキスをするとき、眼鏡を外すのかなあ。そのタイミングを計るのってとっても難しそう・・。 そして、そんなことはおくびにも出さず堅い口調で言う。 あの・・・、先にお参りをしませんか。 亡くなった祖父は私が子供の頃、縁日の食べ物をねだるたびに、こう言っていた。 お参りを済ませてからね。 ウラシマさんはテレビに出てくる水戸のご老公様のように深々と頷き、私たちは茅葺屋根の山門をくぐった。 阿弥陀如来様の本堂に続いて、天台宗の座主りょうげん良源様をご本尊とするがんざんだい元三大しどう師堂へと向かう。縁側には大きな茶色の縞猫が昼寝をしており、それが微動だにしない。 あれって本物の猫なのかしら。 そう言いながら近付いて行くと、猫は不機嫌そうに片目を開け、かすれた声で「にゃあ」と鳴いた。私は猫に「失礼しました。」と言ってお堂に入り、ウラシマさんと並んでお参りをする。 まさか隣で手を合わせている私が合格祈願ではなくて、縁結びをお願いしているなんて、彼は想像もしてないだろうな。 参拝が済むとウラシマさんが堂内の売店の方を見て言った。 お札はこっちみたいですよ。 もう辿りついてしまった。ちょっと残念。 実を言うと、私が今日ウラシマさんと出かけた理由は、合格祈願のお札を買うためだったのだ。これには深い訳がある。 ウラシマさんが高校を受験した時、駅から学校へと向かう道の途中に、どういう訳か深大寺のご本尊であるがんざん元三だいし大師様のお守りが落ちていたという。心優しい彼は、お守りをとてもそのままにはしておけず、そっと拾って胸ポケットに収めた。すると胸がなんだか暖かくなった気がしたという。 言ってみれば胸にホタルでも入れた感じ。ホタルって本当は熱くないんだけどね。 そして彼は見事志望校に合格した。以来そのお守りは彼の宝物となり、あらゆる試験に携えて行くのだという。 それに、そのがんざん元三だいし大師様ってとってもかわいらしい姿をしているんだよ。 かわいらしい?どんな? 黒装束で頭に二本角が生えているの。なんでもその元三大師様が修行をしている姿を、弟子が鏡で見たら、そういう姿に見えたっていうんだよ。つのだいし角大師って言うらしい。 そんな話を聞いたら、どうしてもその姿が見たくなった。 先生、私もそのお守りが欲しいです。お守りだけに頼らずにちゃんと勉強もしますから、深大寺に連れて行ってください。 そして今日の運びとなったわけだ。 実際に見る角大師の絵姿は、想像していたものより、ずっとお茶目でかわいらしかった。たとえ喩えは悪いが、これでツルハシを持たせたら、夜中に虫歯の工事をする人みたい。 お守りを買ったら、もう帰らないといけないのかな。そんな事を思うと、私は少し悲しくなった。それなのに。 グー、キュルル・・・。 こういう場面でどうしてお腹がなるんだろ。情けないくらい正直な私の胃袋だ。ウラシマさんが笑いながら言った みう美羽ちゃん、お腹が空きましたか? 美羽というのは私の名前だ。名前を呼ばれて唐突に考える。浦島美羽って名前は変かなあ。おとぎ話をかき集めたみたいだって人に笑われるかしら。そんな私の思いをよそにウラシマさんは言う。 お蕎麦でも食べて行きますか?深大寺蕎麦って有名なんですよ。 わあい、やったあ! 肌寒い日だったので、ウラシマさんは鴨南蕎麦を頼み、私は天ぷら蕎麦にした。明日葉の天ぷらを噛むと、香りが口一杯に広がる。蕎麦は固めで、つう通好みの茹で加減だ。亡くなったおじいちゃんがよく、ここの蕎麦がうまいんだよって言っていたっけなあ。 ウラシマさんはお蕎麦を食べる前に眼鏡を外した。湯気で眼鏡が曇るかららしい。 眼鏡を取っても見えるんですか。 見えますよ。そんなにひどい近視ではないんです。人の皿に箸を突っ込んだりはしません。 そういって彼は自分の箸で私のお蕎麦を取る仕草をした。 ねえ、ねえ、ウラシマさん、ウラシマさんには好きな人っていないんですか。 ・・・。 彼は一瞬言葉に詰まった。私は悪いことを聞いてしまったようだ。 いたんですけどね。幼馴染の一つ年上の人で・・。でも、この前、僕、その人が男の人と歩いているのを見ちゃったんです。あれは悔しかったなあ。絶対僕の方が先に好きになったと思うんだけど。 それだけ言うと唐突にウラシマさんは鴨南蕎麦の続きを食べ始め、私も黙って天ぷら蕎麦をすすった。 年上の人が好きだったというのはショックだった。私みたいなお子ちゃまなんかきっと恋愛対象の範疇に入らないに違いない。 それでも勇気を出して聞いてみる。 それで、あの・・・、その人の事は吹っ切れたんでしょうか。 うーん、それは難しい質問ですね。 そう言ってウラシマさんは鴨南蕎麦の入った器の縁に箸を置いた。 僕は、人の心って、電気のスィッチみたいに、明確に切り替わるものではないと思うんです。誰かを好きな時でも、一日中その人の事を思っている訳ではないし、逆に忘れたつもりでいても、なにかの拍子に鮮やかに甦ってくる事もある。 何年心理をやっていても人の心はわからないです。わからない事が分かっただけでも大進歩かなって思いますけど。 ウラシマさんは自分の心も分からないみたいだったが、私には分かった。そういうのを普通吹っ切れてないと言うのだ。 お蕎麦屋さんを出ると、外はもう雨になっていて、ウラシマさんは傘を差し掛けてくれた。私は肩をすぼめて身を寄せながら、たまには母の言うことを聞かなくてもいい時があるみたい、なんて事を思った。 その翌年の三月に、私はなんとか志望校に合格する事ができた。これもウラシマ先生があの日、元三大師さまに合格祈願をしてくれたお陰だ。 最後の授業の日に私は言った。 合格祝いとしてお願いしたい事があります。 お願いってなんですか。 ウラシマさんは少し緊張している様子だ。 高いものをおねだりしたい訳ではないんです。私からのプレゼントを受け取って欲しいだけ。ちょっと目をつぶって頂けますか。 ウラシマさんは警戒心を解いて素直に目を閉じた。 私は足音もたてずにゆっくりとウラシマさんに近付いてゆき、背伸びしてその唇にキスをした。眼鏡はその直前に私が外した。 庭の白木蓮の花が、窓の向こうの闇にぼんやりと浮かぶ、早春の日の出来事だった。 それからの事は秘密。 角大師様はあんなに可愛らしいお姿をして、縁結びの手腕にも非常に優れたお方だった。 (了) ----------------------------------------------------------------- <著者紹介> 福田 由美子(福島県福島市/45歳/女性/飲食店勤務) |
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