<第1回応募作品>『インターバル』著者:浅田 昌之
2006 / 10 / 06 ( Fri ) 四月。深大寺へと続く満開の桜並木。ランドセルを背負った子どもたちが一列に並んで学校へ歩いている。一番背の高い女の子が先頭で、続いて背の低い順に6人がカルガモの親子のように進んでゆく。一番後ろの男の子が僕に気づいて話しかける。
「先生、おはようございます。何かいいことあったでしょう。」 「おはよう。なんで分かるの。」 「先生、鼻で歌っている時はいつも機嫌がいいじゃん。みんな知ってるよ。」 音楽の講師である僕は、毎日、子どもたちと同じ時間に登校する。学校の安全管理の一環として、校区内から歩いて通う僕は、警備員のような役割を任されている。鼻歌の理由は、この日、目覚まし時計よりも1時間早く鳴った携帯電話のせいだ。 「もしもし。由美子です。隆之、そろそろ起きる時間でしょ。こっちは夜の10時。きょうね、バルセロナで桜を見つけたの。今、五分咲き。東京は何分咲き。」 彼女から1週間ぶりの国際電話だった。彼女の声は、いつ聞いても美しい。プロのソプラノ歌手だから、当たり前かもしれないけれど、彼女の声には人の心を和ます不思議な力がある。彼女は何か相談事がある時に電話をしてくる。しかも浴室からと決まっている。のどを守るため、毎日バスタブの中で1時間以上過ごす。その間に本を読んだり、電話をしたりするのが彼女の習慣だ。僕はいつも裸の彼女を想像しながら話すことになる。本物は、まだ一度も見せてもらったことがない。 「桜はちょうど満開。今度の週末、神代植物公園は観光客できっと一杯になるよ。そっちはどう。蝶々夫人の稽古は順調かい。」 「イタリア語の発音が微妙に違うらしいの。今日もイケメンのピンカートンに注意されてしまいました。どうしたらいいと思う。」 「学生時代からさ、相手がイケメンだと、素直に耳を傾けるんだよな。俺のアドバイスなんて、たまにしか聞かないくせに。由美子のイタリア語は大丈夫だよ。今度のピンカートンさんはドイツ人だろ。ドイツ訛りを指摘して、やり返してやれよ。舞台はそうやって良くなっていくものだろ。」 「なるほど。さすが先生。励ますのがお上手。」 「ほら、俺が相手だと素直じゃない。で、今度、いつ帰国するの。」 「10月かな。その前にさ、隆之、夏休み、こっち来なよ。新婚旅行ごっこしようよ。」「“ごっこ”が余計だよ。だいたい無理言うなよ。俺には合唱部の指導があるの。」 「真面目に答えないでよ。冗談で言っているんだから。子どもたちは、頑張ってるの。」「今年は、いいよ。子どもたちのやる気が違う。帰国したらコンクール聞きに来てよ。」「楽しみにしてる。それじゃ、またね。なんか隆之と話したら元気が出てきた。」 「お役に立てて光栄です。バスタブで居眠りするなよ。期待の新人オペラ歌手が風呂場で溺れたら、かっこ悪いからな。」 「はい。はい。先生、分かりました。」 機嫌がいいと、ハミングする。そんな癖があることを僕は、この日初めて知った。 彼女を初めてデートに誘ったのは6年前。大学院を卒業する3月だった。僕と彼女は、音楽大学で声楽を学ぶ同級生。その頃すでに、彼女は国内の声楽コンクールで優勝したことをきっかけに、プロ歌手として活動を始めていた。そして、僕は、母校の教壇に立つ夢をかなえ、卒業コンサートのマネージャーを務めたことをきっかけに彼女と親しくなった。自分が生まれ育った町を知ってもらいたくて、深大寺に誘った。観光客が少なくなる午後3時すぎに、馴染みの蕎麦屋の暖簾をくぐった。座敷に上がり、その店の名物である野草てんぷらを注文した。店の女将が料理を一つ一つ解説してくれたので、彼女はとても喜んで食べた。僕はちょっと得意になった。店を出た後、二人で参道を歩いた。小学校時代、この道が通学路だったこと、境内の池でザリガリを捕って坊さんに怒られたこと、子どもの頃の思い出を話して聞かせた。本堂の前で、二人並んで、さい銭箱にお金を投げ込んだ。彼女は、2拍打ってから手を合わせた。 「神社は2回たたくけど、お寺は手を合わせるだけだよ。」 「あ、そうだっけ。失敗。」 境内には、僕と彼女だけ。心の中で「この人とずっと一緒にいさせて下さい」と唱えた。深大寺を出て、今度は4月から僕の仕事場となる小学校に向かった。門の外から中をのぞきながら、かつて校庭の真ん中に大きな桜の木があったことを話した。サッカーをする時は、みんな桜の木を避けてパスを回した、と言ったら、彼女はその日一番素敵な笑顔になった。その瞬間、僕は彼女が寺で何を祈ったのか聞きたくなった。しかし、自分の願いごとを聞き返されるのを避けるために思い止まった。彼女は何かを察したのか、僕の顔から視線を外し、校庭の真ん中を見つめた。そして僕に言った。 「深大寺の神様って、どんな御利益があるの?」 「厄除けだよ。それと縁結びが少々。」 「今日、どうして私を誘ってくれたの。」 「由美子さんが蕎麦、好きだって言うから。」 「そうなんだ。また誘ってね。」 僕と彼女の距離は、心配したほど遠くもなく、有頂天になるほど近くもなかった。 夏休みの音楽室。合唱コンクールに出場する36人の子どもたちが集まっている。6年生の4人は、僕が講師になった時に入学した子どもたちだ。みんな歌が大好きで、下級生の面倒見も良い。ソプラノ、アルト、テノール、バス。パートごとの発声練習は、すべて子どもたちに任せている。去年、合唱部は初めて東京都の大会で金賞に選ばれ、関東大会に出場。今年は、さらにその上の全国大会出場を目標にしている。 「みんな聞いて。明日はいよいよ東京都大会です。一人一人が練習通りに歌えば、きっといい合唱になる。今まで一緒に頑張ってきた仲間のために一生懸命やろう。」 練習の最後に自由曲を歌った。歌い終えた瞬間、子どもたちは黙ったまま互いの顔見合わせ、笑顔を浮かべた。みんな自分たちの合唱に自信を感じている。子どもたちのこんな雰囲気は初めてで、指導者として心が満たされる気分だった。その日の朝、由美子から国際電話があった。これからの二人について話した。 「私は、世界で一番好きな人と結婚したい。だから、隆之にバルセロナに来て欲しい。歌手を続けながら一緒に暮らすにはそれしか方法がないの。」 「子どもたちに歌を教えることは、僕の夢であり、生き甲斐でもある。俺だって由美子と一緒に暮らしたいけど、そのために夢を犠牲にすることは出来ない。離ればなれでも今まで通りお互い励まし合って頑張りたい。」 外国で活動するオペラ歌手と小学校の先生。歌を愛する気持ちは同じでも、二人の夢と現実の間には、大きな隔たりがあった。 秋。神代植物公園の庭園では、バラの花が我こそ一番と、その華やかさを競って咲いている。合唱コンクールの全国大会を前に、由美子が帰国。久しぶりに顔を合わせた。「すごいね。とうとう全国大会出場まで果たすなんて。でも隆之なら、いつかやると思っていた。」 「あすのコンクール。子どもたちの歌を聴いてもらえば、僕の気持ちがきっと分かると思う。その上でどうするのか二人で決めよう。由美子の気持ちも確かめたいし、自分の気持ちも確かめたいから。」 「全国制覇の自信はあるの。」 「コンクールは相手のあることだから分からない。でも、子どもたちは本当にすごいよ。」 「私と子どもたち。どっちが好きなの。」 「子どもは素直だからね。」 彼女の笑顔は、植物公園に咲くどのバラの花よりも美しく、僕の心を和ませるのだった。 合唱コンクールの全国大会は、地区予選を勝ち抜いた10校によって競われる。課題曲と自由曲を連続して歌い、その年の日本一を決める。 大会当日の朝、僕は深大寺へお参りし、手を合わせた。コンクールのこと、由美子のこと、すべての未来を信じたい気持ちでいっぱいだった。大会会場の音楽ホールは、何度も訪れたことがあったが、この日はやはり特別な場所に感じた。午後2時すぎ、僕は指揮者として、36人の子どもたちと一緒に夢の舞台に立った。客席に向かって一礼する時、一番声の響く席に由美子の姿を見つけた。とびきりの歌を愛する人に届けようと、僕は指揮棒を振りおろした。 「まさか本当に全国の頂点に立っちゃうなんてね。隆之が子どもたちに夢中になる気持ちが分かったわ。わがまま言ってばかりの自分が恥ずかしくなっちゃった。」 その日の夜、僕は彼女を自分の部屋に招いた。二人の夢と現実にある大きな隔たりを乗り越えるため、気持ちを確かめるため。 「で、由美子はこれからどうするの。」 「離ればなれは寂しいけれど、もうちょっと私も頑張ってみる。」 「なんだ、ちょっとしか頑張らないの。俺は死ぬまで一緒に頑張りたいのに。」 「はいはい。日本一の先生が言うなら、仕方がないな。」 「本当に素直じゃないよな。」 (了) <著者紹介> 浅田 昌之(東京都調布市/37歳/男性/会社員) |
<第1回応募作品>『日が暮れていく間にも君を思う』著者:芳刈亜緒
2006 / 10 / 02 ( Mon ) もみじの大学院入試が迫り、彼女は勉強に集中したいから僕とはしばらく会わないと言った。それは試験日のちょうど三週間前のできごとであり、今日まで僕は彼女に会っていない。これまで、デートの約束を取りつけるべく先に動き出すのは決まって僕で、僕は自分で「もみじに会っていないと『くさくさ』してしまうたち性質」だとわかっていたから、そうしていたのだった。そんなふうだから、彼女に会わないことに対する耐性がまるでないはずの僕が14日間も彼女に会わずにいられたことは奇跡といえた。
だけど今日、僕は彼女の住む街へ向かって自転車を走らせている。 昨日、僕の家の「たると」(ウェルシュコーギー・♀・3才)がこどもを産んだ。「たると」の妊娠はもみじも知っていたから、出産の感動に震えているうちにこの気持ちをもみじに知らせたいと思ってしまったのだ。−感動なんて言葉じゃ薄っぺらくていやなんだけど、しっくり来る言葉がないんだ。うまく説明できないな、ただこみ上げてくるものがあったよ。泣きそうにもなった。彼女に会ったらどう話そうか、シュミレーションをしている自分に苦笑してしまうけれど、楽しくて止められなかった。 −たると、どうだった? ふうん、今はもう落ち着いてるの? こども大きくなるの、楽しみだねえ。 彼女からの返答まで考えはじめて、はっと気づいた。 −どうして来たの? −私、会わないって言ったよね。キミと約束したよね。キミもわかったって言った。なのに、何で?彼女なら言いかねない言葉だ。自分で想像しておきながら、その鋭さによって僕の甘い空想はばっさりと切られた。もみじはすごく頑固で、自分の計画とか、生活するリズムを崩されるのを非常に嫌がる。デートで寄り道を提案しようものなら、途端に機嫌が悪くなる。そして今、勉強に打ち込んでいるところに僕が行ったとしたら・・・。僕の空想がどんどん悪い方向に向かっていくにつれ、ペダルをこぐスピードは落ちていった。家を出た当初の勢いはすっかり影を潜め、気がつくと薄暗い失望のイメージが僕に張りついている。僕がもみじに会いたいと思っていても、もみじは同じように思っていないかもしれない。それなのに僕がもみじに会いたいと思って一生懸命に伝えるメッセージを考えたり彼女の顔を思い浮かべながらニヤついたりしていることって、僕のエゴなんだろうか?今や僕の両足にはちっとも力が入らない。前へ進む動力をすっかり失ってしまっている。少し立ち止まって考えたい。そう思って両足をそうっとアスファルトにつけた。アスファルトの上にはだいぶ落ち葉が積もっている。視線を前に向けていくと道路の両脇にサクラの木々が植えられていて、道路に覆いかぶさるように枝が広がっているのがわかる。このきれいな直線道路には馴染みがあった。もう、深大寺まで来ていたのか。 もみじの家まではもう4、5分のところまで来ているのだが、完全に足の止まった僕は、少し落ち着こうと思い、久々に深大寺を訪れた。 境内では蝉1匹分の鳴き声を耳にし、彼岸花の赤い花弁を一年ぶりに目にした。夏の終わりと秋の始まりを同時に味わっているような気持ちになる。 これ以上家に居たくはないし、かといって新宿や渋谷みたいな「あくせくした」街に行ってデートしたいとは思えないような時に、僕らは深大寺に来た。深大寺に漂うゆったりとした空気は、もみじの心を安らげてくれるようで、普段と比べると深大寺でもみじが時間を気にする様子はあまりなかった気がする。そんな風にして深大寺でのデートを次々と思い出してしまい、今独りでいることの寂しさがいっそう身に沁みてきた。 こんなに近くにいるのに、何で会えないんだろう、こんなんなら遠恋のほうがましだよとか、もみじは会わなくても平気なんだろうか、僕みたいに僕のことを思い出したりしないんだろうかとか、つまりはもみじのことを考えながら僕は茶屋の前を横切る人達を見るともなしに見ていた。すると、「たると」と同じ犬種を連れた、若い男女の二人組が横切って、僕はまたうっかり「たると」を連れてデートに来たときのことを思い出してしまった。 まだ「たると」は仔犬っぽさが残っていて、すれ違う人が「わあっ」とか「かわいいねえ」とか言っているのが聞こえて、そのせいかもみじは散歩中よく笑った。もみじの笑顔を見ていたら僕はうれしくなり、高揚してきて、伸びをしながら冗談っぽく、「幸せだな〜っ」と言ってみた。するともみじは一瞬きょとんとした後で、顎の先を左手でもみながら、視線を下に落とした。少なくとも機嫌がいいようには、見えなくなったので、慌てて、 「どうした?僕の言ったこと気に入らなかった?ごめん」 と言うと、彼女は、左手を顔の前でぴらぴらさせながら 「あ、違うんだけど」 と言った。 「よく『幸せにしてあげる』とか『幸せにしてください』っていう決め文句があるじゃない?私あれ嫌い」 僕は曖昧に頷いた。 「幸せってそんな人任せにできるものじゃないよね。結局は自分の心の中で、自分の価値観で決めることでしょう?だから私は幸せに・・なるの」 彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、そう言った。 彼女の、自分の意志を貫く心の強さというのは日頃の付き合いの中でも垣間見えていたが、それは時として僕を悩ませ、頑固すぎやしないかという感想も持った。しかし、このとき僕は彼女の心根は頑固という表現には全く当てはまるようなものではなくて、むしろ自分の意志や力に疑いを持たないという意味で純粋というのが相応しいんじゃないかと思った。 僕はそういう結論に至ったことで彼女が眩くいとおしい存在に思えた。そこで、 「じゃあ、一緒に幸せになろう」 と彼女に耳打ちしたのだった。 その時の、彼女の顔といったら!僕が告白したときのように大きな目をさらに大きく見開き、頬は瞬時に紅潮したのである。そうして、照れくさそうな笑いを浮かべて、ちゃめっ気たっぷりに、 「プロポーズのつもり?」 と返してきた。 それで僕たちは一気にはじけて、大声で笑い出したものだから、足元の「たると」が(なんだろう)という顔で僕らを見上げたのだった。 池には3分の1ほど赤くなった木の葉が浮かんでいた。カルガモが1羽、池の真ん中辺 りで休んでいる。僕はまだ、茶屋の前に腰掛けている。少しばかり風が冷たくなってきたように感じて、僕は茶屋でほかほかの“そばパン”を買った。 もみじは間違いなく自分のために、もっと言えば将来の自分の幸せのために、「会わない宣言」をしたのだ。そして僕は、今の自分の幸せのために彼女に会いたいと思っている。「将来の幸せ」と「今の幸せ」というのはさしたる問題ではない。重要なのは、お互いはただ純粋に自分の幸せを願っているというところだ。そして、自分の幸せを考えての選択が、相手の幸せを邪魔するかもしれないというところだ。 だけど僕は忘れていない。あの時言った、「一緒に幸せになろう」ということばを。僕の幸せともみじの幸せは今の時点では矛盾しているように見えるかもしれないけれど、価値観によって幸せが決まるなら、考え方次第で僕ともみじがともに幸せを感じるようになれるはずだ。だからもう少し、ここで考えていきたいと思った。考えたいと思ったこと自体は数時間前にサクラの木々の下で前進する気力を失ったときと同じだけれど、今回の僕には何となく明るさがあるぞ、と思った。少しずつ落ち始めた初秋のひ陽の光はやわら かく、僕の背中にじんわりとしみわたっていった。 (了) <著者紹介> 芳刈亜緒(東京都世田谷区/24歳/女性/会社員) |
<第1回応募作品>『だるまさん』
2006 / 09 / 22 ( Fri ) 手を繋いで煉瓦敷きの並木通りを歩く私たちは、きっと仲のよい祖母と孫に見えるでしょう。五月の青葉と空気が、満たされた気持ちとはこういうものだと教えてくれます。えび茶色の、よそいき用ワンピースの端っこが、ひらひら。
私は、今年で七十九歳になります。夫が死んだ時の歳などとうに追いこしてしまいました。それが、まだ中学生二年生の男の子に手を引かれているのですから、自分でも可笑しくなってしまいます。 「つねこ常子、疲れた?」 腰が曲がって速くは歩けない私を、だるまさんはいつも気遣ってくれます。最近洒落っ気が出てきたのか、伸びかけた髪になにやら整髪料をつけているようです。制服の着こなしが少しだらしなく見えるのですが、口うるさい婆とは思われたくないので、黙っています。 「疲れたわけじゃないですけどね。だるまさんももうちょっとゆっくり歩きなさいよ」 せっかくの、いい気候なのですから。 「しょうがないなぁ。常子は婆ちゃんだからな」 だるまさんはあどけなく毒づいて、声変わり前の喉で笑います。 小島悟、というのがだるまさんの名前だそうです。でも、悟ちゃん、と呼ぶととても複雑そうな顔をします。だからと言って爺さん、と呼ぶこともできず、死んだ夫の名などもっての外で、私はだるまさんと呼ぶのが精一杯。 「だるまさんはお腹すかないの」 育ち盛りの腹具合を心配すると、だるまさんは、並木道に並ぶ蕎麦屋の一つを目で追いました。 「減った。でも、お参りしてからにしよう」 全く判りやすい人です。 だるまさんが私の前に現れたのは、二年前の春の日でした。年に一度のだるま市で、私は小ぶりのだるまを一つ、自分のために買うことを小さな楽しみにしていました。アパートでの一人暮らしは話す相手もなかなかいないものですから、スーパーに買物に行く時など、靴箱の上のだるまに行ってきますと告げるのです。その時も、小さなだるまを返す返す、どれにしようかと眺めている最中でした。 「常子」 だるま市の人ごみの中、小柄な少年が真っ直ぐにこちらを眺めて私の名を呼びました。セーターが青かったことだけははっきり覚えています。伸びかけた坊主頭と、愛嬌のある顔立ちは、だるまに似て頬を赤く染めていました。 「なんだいあんた。どこの子」 心当たりはありませんでした。孫の友達だって、私を呼び捨てにしたりはしないでしょう。見れば孫よりもずっと幼子ですし、その孫だって、もう二年も会って無いのです。 「常子。よかった、生きてた」 そう笑って、それから子供は顔をなお赤くして泣きました。泣いても笑ってもいっそうだるまに似ています。だから、だるまさんと呼ぶことにしました。 私は途方に暮れて、暖かい饅頭を買って見ず知らずのその子に握らせました。 「だるま市に来れば、常子に会えると思ったんだ」 泣き止んだだるまさんは、口に餡子をつけたままこともなげに言ったのです。 「毎年来てたじゃん。おれ、生まれる前から知ってた」 山門を潜ると、私の好きな静謐さが身を引き締めます。ナンジャモンジャの白い花が慎ましやかに咲き誇っていました。 「だめよ。先に手を清めないと」 本堂に急ぐだるまさんを引きとめ、線香を買い、煙と清水に触れてからお参りします。だるまさんはいつも何か熱心に拝んでおります。でも、私はそれ以上の真摯さで祈ります。 夫が死んだのは十五年前。脳卒中で寝たきりになってから三年目の夏でした。夫はたいそう働き者だったので、麻痺で動けなくなった体をとても惜しみ、それ以上に私に面倒をかけることを申し訳なく考えていたようです。柴崎のアパートで、私たちは穏やかに暮らしていました。天井や、布団脇の尿瓶を眺める夫の眼差しに、生きることの悲しさが垣間見えても、私は傍にいて欲しかった。動けぬ夫の日々向かい合い、それぞれの苛立ちから口論も多々ありました。夫の調子と機嫌がいい時を見計らって、たまに深大寺に参拝するのが、その頃の私の唯一の息抜きでした。夫が早く逝くことを望んでいることを知りつつも、私は私のわがままから、少しでも傍にいてほしいと延命観音様に祈っていたのです。 「でもおれ、死ぬときのこと覚えててさ」 だるま市でだるまさんは言いました。 「常子が心配だ心配だ。ありがたい。申し訳ない。常子を一人にできない。そういう感情と、名前と、この場所だけは忘れずにまた、生まれてきた。一人で会いに来れるようになるのをずっと待っていたんだ」 だるまさんが言うことには、死ぬ前の全てを覚えているわけではなく、それらの記憶は年々薄れていくものだそうです。忘れないように、字を覚えたての頃からメモに残していた。住んでいた部屋の風景は思い出せるけれど、そこまでの道筋はわからない。だからここで待っていたと。見知らぬ子供にそんなことを言われて、信じられる人がいるでしょうか? 「それは、よく会いにきてくれたねぇ。でもあんた遅いじゃない。せめて電話くらい入れてもらわないと困るわ」 「しょうがないよ。電話番号まで持ってこれなかったんだから」 「今どこに住んでんの」 「府中」 「うまい具合にご近所でよかったね。北海道とかならあと十年は待たなきゃいかんもんね。ところで、あんたどこで私の名前見たの」 「あ。常子信じてないな。まじだって。常子の名前だけはこっちまでがんばって持ってきたんだって」 「あっはっはっは。それはご苦労だったね」 「イシハラツネコ。おれはイシハラタケオだった。タケは山のほう。子供は二人だった。男の子と女の子。男の子は子供の頃に病気で死んだ。子供も辛かったけど、そのあとずっと落ち込んでいる常子を見るのが辛かった。復員して常子に会えて、タケオはとても幸せだった。死ぬときに見た天井。常子が手を握っていた。あとはずいぶん忘れてしまった」 「よく知っているんだねえ」 「おれは常子に会えて幸せだったよ。また会えて嬉しい」 「ありがとう」 もちろん私は信じませんでした。けれど涙はこぼれました。私の名前はアパートの郵便受けを見たのか、病院の待合室で見かけたのか、機会はいくらでもあったのでしょう。私たちの生い立ちについては、どなたかご近所の人から聞いたのかもしれません。嫁に行ったきりになった娘について、愚痴をこぼしたことだってあったのですから。なぜ、私なのかと理由だけがわかりません。使った手の込んだ年金詐欺かとも一瞬警戒しましたが、支払うような貯えも私にはそれほどありません。優しい子供の残酷ないたずらということにしておきました。一人暮らしの年寄りをからかう嘘は、泣きたくなるほど、信じたい何かがありました。事実私は信じたかった。置物のような夫が、もっと小さな白い箱に収まり、石の下に行ってから、私はずっとずっと一人でした。それがでたらめでもこんな風に、言ってくれる人がいてもいいと。 その日限りと思ったいたずらは、子供の気まぐれゆえかその後も続き、早いものでもう二年。週に一度ほど、だるまさんが電車に乗ってやってきます。どう説明したのかは知りませんが、だるまさんのご両親は、おばあちゃんが増えたようだと喜んでくれました。たまに土産や電話まで入れてくださいます。私も孫が増えて嬉しいです、と澄まして答えています。だるまさんが来ると、私たちはまだ夫が元気だった頃のように、連れ立って深大寺まで散策に参ります。植物公園まで行く日もあります。それはとてもゆっくりとした道行きです。 四季を回す水車を脇目に、私たちは手を繋いでどこか遠くへ思いを馳せるのです。だるまさんはまだ若いのに信心深く、私を憶えて再び会えたことは何かのお導きで、感謝してもしたりないと言います。そして、昔の道行きを辿ることで、タケオの記憶をとどめて置きたいと言うのです。でも、だるまさん自身はやはり歳相応の子供なのです。 「常子が倒れたら、今度はおれが面倒を見るよ。だからおれが大人になるまで元気でいてもらわなきゃ」 帰りの蕎麦屋さんで、だるまさんはいつも同じことを言います。 「いい病院だってあるし、福祉の方もよくしてくださるのよ。だるまさんだって今年は高校を受けるんだから、そんなまめに来なくたっていいんだよ。勉強はできてるの」 「やってるよ。高校生になったらバイトもできるじゃん。そしたら常子におれが蕎麦をご馳走するよ。携帯も持つから、常子も持ってよ。ストラップはお揃いであれにしよう。お財布につけている目が飛び出すだるま」 「家の電話だって大して使わないのに必要ないでしょ」 「安心できる」 「そんなことより、まだ若いんだから、早く可愛い子でも好きになんなさいよ」 「常子は冷たい」 「私ほど優しい婆もそんなにいない」 「おれも優しいよ」 「優しいのは知ってるけども、だるまさんはこんな婆さんにつきあって何が楽しいんだか。義務で来ることなんかないよ。好きに時間を使えばいいじゃない」 「使ってるよ。楽しくなかったら来るわけないじゃん」 「何が楽しいの」 「時間が停まるところ」 たまに、だるまさんが本当に死んだ夫の生まれ変わりじゃないのかと、信じる瞬間もあります。慎ましい我が家の玄関先で、だるまさんがだるまを懐かしそうに撫でているとき。苦労ばかりの戦後の思い出話を、黙って聞いていてくれるとき。こうして向かい合って、昔のように蕎麦を啜るとき。生まれ変わりというよりは、生前そのままの夫が、私の手を引いているような気がしてくるのです。 けれどそれはやはり、信じすぎてはいけないのです。 「時間は停まったりしないよ。悲しいときも嬉しいときもすべて過ぎ去っていくものだよ」 「たまに停まる」 「それはまだだるまさんが若いからだね。歳取ると何もかもあっという間だよ」 「せっかくおれは常子に会いにきたのに」 「うん。今日も楽しかったよ」 深大寺前からだるまさんを乗せたバスが見えなくなるまで、私は身じろきもせずに見送っていました。そうしてから、手を背中で組んで、一人暮らしのアパートまでゆっくり帰ります。 私もまだまだお礼参りをしなければなりません。新しくできた願い事も一つあるのです。 もし、万が一だるまさんが夫の生まれ変わりならば、どうか、今生でおしまいにしてください。 あまりに満ち足りた日々と思いは、すべてこの世に置いてゆきます。だるまさん、あるいは夫は、充分すぎるほどによくしてくださいました。 来年か、再来年か、あるいは十年後か、最後の日が訪れるあかつきには、どうかまたこの思いを抱えて生まれ変わることなどありませんように。 だるまさんはいつか来なくなるかもしれません。それでも私は充分に幸福ですし、死者でも生者でも変わらず夫を思い、同じほどこの恋の供養を願っているのです。 (了) <著者紹介> (神奈川県川崎市/29歳/女性/自営業) |
<第1回応募作品>『亀、捨てるべからず』著者:中島 晴
2006 / 09 / 15 ( Fri ) 亀の捨て場所に困っていた。この三年でずいぶん大きくなった。
その日は朝から降っていた雨が昼過ぎには上がり、勝手な言い草だが亀を捨てるには良い日に思えた。ダンボールの箱に亀を入れて自転車に積むと、深大寺門前の亀島弁財天池を目指す。地図を見てめぼしをつけておいた場所だ。今日こそ亀を捨てよう。 この町には大きな植物園があることと、深大寺という古い寺があり、その門前でそばが名物であることだけは越してくる前から知っていたが、住み始めて半年、まだ植物園も寺も訪れたことはなかった。ほどなくして着いた亀島弁財天池は亀の楽園に見えた。思っていたより広い池で亀がのんびり泳ぎ、小さな岩の上では重なり合って甲羅を干していた。絶好の亀捨て場だ。 自転車を止め、箱の中でごそごそしている亀に別れを告げる。ごめんよ、もうおまえを飼っていられないんだ。ここで元気に暮らせよ。時々会いにくるよ。まさに池に亀を放そうとしたその時、鋭い声がした。 「池に亀を捨てないでください」 振り返るとそこには厳しい表情をした女の子が立っていた。 「よりによってアカミミじゃないの。だめよ、こんなものこの池に捨てないで。イシガメやクサガメが住めなくなるでしょ」 「えっ、だってもうここはアカミミばかりじゃない」 女の子の表情がいっそう険しくなるのを見て、自分が口を滑らせたことを後悔したがもう遅かった。 「そうよ、みんなが大きくなったアカミミを捨てにくるから、アカミミばかりになるのよ!とにかく飼えなくなったから捨てるなんて無責任よ。大人のすることじゃないわ」 えらい剣幕だ。僕はこの池に亀を放すのをあきらめた。女の子の言ってることは正しい。飼えなくなったからといって命あるものを捨ててはいけない。そして、外来種であるアカミミガメを、というよりミドリガメといった方がわかりやすいが、放すことは在来種であるクサガメやイシガメを追いやることになり、本来の生態系を壊す。例え、すでに日本国中の池がすっかりアカミミガメの天下になっているとしても、さらにそこにアカミミガメを放していいということにはならない。君の言う通りだ。 僕は亀をダンボールに入れると女の子に頭を下げ、その場を立ち去ろうとした。 「待ちなさいよ、ここに捨てるのはあきらめて、よそに捨てようと思ってるでしょう」 図星だ。このあたりはきれいな水がいたるところを流れており、いくらでも他に亀を放す場所はありそうだった。詰問が続く。 「どうしてそんなに亀を捨てたいの?」 「辛いからだよ。この亀と暮らすのが辛いんだ。どうして辛いかは君には関係ない」 女の子の剣幕に言わずもがなのことを言い返してしまった。 「でも、あなたはこの亀と別れるのも辛いと思ってるでしょう」 これも図星だ。どうやら、さっき長々と亀に別れを告げているところを見られたらしい。「それなら私がその亀もらってあげるわ」 思わぬことから、その女の子、深雪ちゃんに亀を引き取ってもらうことになった。小学生の時に夜店で買ってもらったアカミミをずっと飼い続けているので、一匹増えてもかまわないという。深雪ちゃんはこまめに亀の写真付きのメールを携帯にくれた。高校生だと思っていたら大学院に通う学生だった。 何度か会社帰りに駅で会うことがあり、お茶を飲むうちに、待ち合わせて食事をしたり飲みに行くようにもなった。もうすぐ三十になる僕と話してなにがおもしろいのか、なんでもない話で笑い転げる子だった。 秋になってしばらくした頃、おそばを食べに行こうとお誘いがきた。なんでも深大寺で「縁結びそば祭り」が開催されるそうで、その招待カップルに当選したのだという。 縁結び……間抜けにもこの時になってようやく深雪ちゃんが僕に好意を寄せているらしいことに気がついた。気がついてみるともういけなかった。メール一通返すことができなかった。そば祭りの日、僕は携帯の電源を切り、家から一歩も出なかった。携帯の電源はそれからずいぶん長いこと切ったままにしておいた。深雪ちゃんをひどく傷つけることはわかっていたが、どうしようもなかった。もう誰にも僕を好きになんてなって欲しくなかった。僕は一人でいるべき人間だ。 職場とアパートを往復するだけの日々に戻り一年が過ぎた。駅で深雪ちゃんを一度だけ見かけたけど走るように逃げた。もしかしたら走って逃げる僕の後姿を見られたかもしれない。さぞ情けない姿だったことだろう。でも、それでよかった。 時々亀を手放したことを深く後悔した。その日、自分を持て余してやみくもに自転車を漕いでいるうちに見覚えのある風景、深大寺にたどりついた。お参りをすませてから、ここが千三百年もの歴史がある関東でも屈指の古寺であることを知る。境内には池や水路がいくつもありそこかしこで水音がした。水辺が好きだったおまえを連れてきてやったなら、きっと喜んだに違いない。境内の池の端にたたずみおまえのことを思った、その時だった。 「また亀でも捨てにきたの?」 聞き覚えのある声がした。 「走って逃げたって追いかけるわよ、今日は」 深雪ちゃんが立っていた。 「あの日、ずっと待っていたんだよ。どうして来てくれなかったの? 私のことが嫌いならはっきりそう言ってくれればいいのに」 まっすぐな質問が僕を射る。下を向いてしばらく黙っていたが、観念して誰にもしたことのない話を始めた。話し始めてすぐに、誰かにこの話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだと気がついた。 恋人がいたんだ。その日彼女は僕にペットの亀を預けにきた。翌日から友達とヨーロッパ旅行に出かけることになっていたんだ。そう、君に飼ってもらってるあの亀だよ。帰り際駅まで送ってくれって頼まれたのに、僕は見たいテレビがあるからって送っていかなかった。ビデオが壊れていて録画できなかったのは事実なんだけど、でも、本当はちょっとおもしろくなかったんだよ、彼女がヨーロッパに行くのがね。一緒に行ければよかったけど僕にはそんな余裕はなかった。 そして、その帰り道彼女は飲酒運転の車にはねられて死んだ。信じられないだろう、そんなドラマみたいな話。勿論そばにいても助けてやれなかったかもしれない。みんながそう言って慰めてくれた。彼女が死んだのは僕のせいじゃないってね。でもね、恋人がまさに死んでいくその時、僕はテレビを見てへらへら笑っていたんだよ。そんな自分を許すことはできないだろう。 手元にはあの亀だけが残され、それから三年あの亀と暮らした。でも辛くて辛くてとうとうあの日捨てに来たんだよ。勿論、本当に捨てたかったのは亀じゃない。僕が捨てたかったのは僕自身だ。君が僕のこと好きなんじゃないかと気がついた時、たまらなく恐くなった。僕は君の気持ちに応えてあげることはできない。逃げたりして悪かった。 池の端にしゃがみこんだ。泳ぐ鯉が滲んでみえた。流れる水のそばに住みたいというのがおまえの口ぐせだった。庭先に小さな流れがあったならどんなにすてきかしらん。僕は夢みていた。そんな家におまえと住むことを。そして、その庭であの亀を飼うことを。 「それでも私はあなたが好きよ」 すぐには深雪ちゃんの発した言葉の意味がわからなかった。 ソレデモワタシハアナタガスキヨ 「私は大雪の日に生まれたの。それと深大寺の深沙大王から一文字いただいて深雪って名前になったの。深沙大王は亀に姿をかえて、引き裂かれた恋人を添いとげさせてくださった水神さまなのよ。私には縁結びの神様がついてる。だから、きっとあなたは私のこと好きになるの。そう信じてるの」 深雪ちゃんは一気にしゃべった。それから急にしゅんとして小さな声で言った。 「そんなのただの思い込みだけど」 それがただの思い込みじゃないことを僕は知っていた。僕も深雪ちゃんを好きになり 始めていたのだ。だからこそ、あの日会いにいけなかった。深雪ちゃんが話し続ける。 「彼女の亀を捨てたり、彼女のことから逃げようとするのはいけないと思うの。事故の時テレビ見て笑っていた自分が許せないのはあたりまえだと思うし、そのことで一生苦しむのも仕方ないかもしれない。そうでしょ」 辛くてたまらなくても全くその通りだった。 「でもね、亀を預かったように、悲しいときや苦しい時に私がそばにいればなにかしてあげられるかもしれないでしょう」 温かな湯が突然胸の中に流れ込んできたような気がした。温かな湯は胸から腹へ広がりそして足や手の指の先までゆるゆると流れ込んで行った。それは自分がどれほど冷え切 っていたかを知らされるような温かさだった。「あなたが元気を取り戻して、またあの亀を自分で飼えるようになるまで大事に預かっててあげるから安心して。その代わりに今日はおそばごちそうになろっかな。去年の縁結びそば祭りで食べ損ねたからね」 涙目の深雪ちゃんがそう言ってけらけらと笑い、つられて僕も笑った。それから門前のそば屋で奮発して天ざるをごちそうした。記念だからと言って二人で大盛りを食べた。久しぶりに心が晴々とした。 (了) <著者紹介> 中島 晴(神奈川県横浜市/45歳/女性/主婦) |
<第1回応募作品>『池の畔』著者:倉嶋 秀樹
2006 / 09 / 08 ( Fri ) 晴れの得意日とは言ったものだ、10月10日の秋の日が快晴の空から斎場を照らしていた。何時もより小さく見える祖父の姿を私は黙って見ていた。葬儀も滞りなく終わり、丁度一ヶ月くらい過ぎて、店も平穏さを取り戻した頃、祖父が2,3日、父に任せ、旅行へ行くと言い出した。蕎麦打ちも仕込みも、今は父が行っているとは言え、味の見極めは、何時も祖父がしていた。戦後に店を出した歴史の浅い蕎麦屋にとって、味の維持が重要だとの思いが祖父にはあったのだろう。
「何処に行くんだ?まだ35日も終わってないじゃないか。」 父は、祖父の外出にこう苦言を呈した。特に反対するつもりはないが、35日の法要の直前であったことに多少不満があったのだろう。 「今行かないと間に合わないから。」 ぽつりと一言いって祖父は厨房の奥へ行ってしまった。私は、祖父が祖母の死を期に引退を考えたのではないかと勝手に思い込み、祖父のこの一言など気にせずに、 「行かせてあげればいいじゃん。店をお父さんに全て任せるなんて無かったことだし、おばあちゃんが死んだから、もうそろそろとでも思ったんじゃないの。」 などと、余計なことを言っていた。 次の朝になって、祖父は、旅行へ行くと言うメモを残して、家からいなくなってしまった。旅行へ行ってしまったことは明らかであったが、行き先も日程も告げずに消えてしまったので、家族はそれなりに動揺した。とは言え、35日の法要の準備もあったし、店のこともあったので、帰ってきたら文句を言おうと言うことで、父の一括の元、家族会議は終わりになった。 私は、家族会議の輪の中にいながら、全く別の事を考えていた。昨晩、非常に不思議な夢を見たのである。夢の中で私は、深大寺の池の前に立っていた。子供の時より親しんだ場所だけにそこが、深大寺の池であることはすぐに分かった。ところが、池の畔の社が無いのである。それが気になって、ふと、池を見ると大きな亀がこちらに泳いでくるのである。亀は水面より頭を持ち上げると、私の頭の中に直接話しかけてきた。 「声をかけねば恋もかなわん。お前の様な奴は自分の気持ちも良く分かっておらんだろうがの。」 と亀に言われて、何かを私は言い返そうとして目が覚めたのであった。私には、確かに気にかける異性がいる。しかし、それほど強い恋愛感情を持っているとも、自分の気持ちを伝えられない自分自身を厭になってもいなかったので、心の奥底では亀に言われた様な心理が有って、ストレスにでもなっていたのだろうかと真剣に悩んでしまったのである。 家族中が浮き足立って、私も別のことに浮き足立って、3日が過ぎ、祖母の35日の法要を翌々日に控えた夕方、祖父は、泥だらけの靴で帰ってきた。様々にそれぞれの立場から祖父に、文句や、心配であった事などを告げたが、生返事をするばかりで、何処へ行ったの問いかけには、一言こう言った。 「奥久慈へ行って来た。」 父は、その一言を聞いただけで思い当たることでもあったのか、家族にもう失踪事件の事では、何も聞かない様に諭した。母は、嫁の立場というのがあってか、まだかなり不満顔であったが父の言葉に従った。私は、奥久慈が何処に有るかも分からず、ただ奥と地名に付くのだから紅葉のきれいな所で紅葉狩りにても行ったのだろう位に思った。祖父は、非常に疲れた様子で直ぐに床に就いてしまった。 翌日の朝になって、祖父に宅配便が二つ届いた。送り主も祖父だったので、土産かと思い、祖父にその事を告げると、祖父は、店の開店前に、店内のレジ前の飛び石に使っている石臼を掘り出した。掘り出した後の穴の始末を父に告げ、奥でこの石臼を丁寧に洗っ て、中央に小穴のあいた方に使い古したベルトと、荷縄ですりこぎ棒を側面に固定した。宅配便の荷を解くと蕎麦の実と籾殻を梱包材にした自然薯が入っていた。我が家の蕎麦屋は、生蕎麦であって、繋を使っていないのに自然薯とはとか、今は長野の新蕎麦の粉が店でも出しているのにと、私は変に思った。祖父は、蕎麦の実や自然薯を見ながら、嬉しそうに独り言をいった。 「この実はよく天日で干してある。良い匂いだ。天然物は細いが、やはり堀たては、泥も乾いて無くて新鮮だな。」 その言葉を聞いて、私は、祖父がなにやら素材への拘りが有った事と、靴を泥だらけにする程、入手困難で旅行に3日間歩き回った事を感じた。 昼の営業時間も終え、昼休みなると、祖父は、父に夜の分の仕込みを任せて、石臼に向かい、蕎麦の実を製粉した。そして、ざるで外皮の粗いところを除き、さらに、菓子箱の一辺を切り落とした即席の箕で細かい外皮を器用に取り除いていた。 「昔は、もっと道具が揃っていたのに。」 と、言いながら、祖父は、この繰り返しを延々と夜遅くまで繰り返していた。 翌朝、祖母の35日法要の当日、朝早くから、祖父は、擂り鉢で丁寧に擦り潰した自然薯を繋に蕎麦をうった。天然の物の自然薯は非常に粘度が高く、八百屋で売っている山芋とは、明らかに別物で有った。後で教えて貰ったが、自然薯はその辺で売っている山芋とは別品種で、自然薯自体山芋と呼ばれる事が昔は一般的だったとの事であった。法要も終わり、参集して貰った親類縁者にこの特製蕎麦が振る舞われた。この特製蕎麦は、蕎麦屋の子である私も初めての香りの強いもので、素朴という言葉が非常にぴったりの味だった。この時、祖父の失踪事件が話題となったが、当の本人は旅行の目的を語らず、深大寺に行くと言って席を外した。しかし、旅行目的が、材料の蕎麦の実と自然薯の入手に有ったことは、誰の目から見ても明らかだったし、席を外した事も照れ隠しであると思われた。叔母が、充分に特製蕎麦を堪能した後、奥久慈と言う単語から旅行目的の推理を披露した。 「初めての家族旅行の場所だったからね。お母さんの疎開先って聞いていたけど。だから奥久慈だったじゃないの今回の旅行先が。それに、この蕎麦の味は、疎開先だった家で頂いた蕎麦の味みたいじゃないの。お父さん、だからこの蕎麦をうちたかったんでしょう。」 言葉の最後の方には、叔母の目が少し潤んでいた。この推理に誰もが納得した。私は、父が、奥久慈の言葉で、家族をなだめた時、同じ思いが有っただろう事を思った。一同は祖父の祖母への思いの深さの様なものを感じた。 会食も終わりに近づいて来たのに一向に帰る気配の無い祖父が気になり、私は、母に耳打ちし祖父を迎えに深大寺へ向かった。しかし、深大寺の表境内に祖父はいなかった。私は、夢の事を思い出し、池の方へ足を向けた。池の畔の社の前に祖父はいた。社には、祖父の特製蕎麦が、供えてあった。私は、祖父に家に帰る様に促し、祖父もそれに従った。帰り道で私は、叔母の蕎麦への推理を祖父に話した。すると、祖父は、天日干しの蕎麦の実が入手困難であったこと、自然薯を掘る人の家を譲って貰う様にお願いして回った事などを話してくれた。そして、 「昔は貧乏だったから、何処へも連れて行けなかったから、そんな昔の事を覚えていたんだろうな。小学校の夏休みなんて何処にもつれていかないとよく文句を言われたからな。」 と叔母の推理が正しかったことを認めた。しかし、蕎麦へのこだわりか、今日の蕎麦については、 「今日の蕎麦は、もてなしの料理で、店に出す物じゃないんだ。蕎麦屋は、蕎麦でお客に喜んで貰えばいい。でも、今日のは、婆さんの客への振る舞いだから別物だ。昔の旅行の時に連絡もしないで押しかけて、それでも最高のもてなしをしてくれた、婆さんの親戚の心遣いの真似事みたいな物だ。」 と言って、まだまだ、その域には達していないかの様に話をした。私は、その疎開先の家の人が今回、参列していないことを訪ねると、 「あの家の息子は優秀で旧制の高等学校に行って、そのまま学徒で戦死して、跡継ぎがいなくなった。今回も墓にだけには行ってきた。」 と答えた。子供のいなくなった夫婦が、自分の娘の様に祖母を思っていたであろう事は何となく理解できた。そして、家族旅行でわざわざ突然押しかけたり、それでも祖父の家族旅行で最高のもてなしをしてくれたのもその為であると思った。 私は、夢の事もあって、あの社に何故、お供えをしたのかを祖父に尋ねた。する、祖父は、聞こえるか聞こえないかのような声で、 「あの池の亀が・・・。」 と言いかけ、思い直した様に、 「いやいや、婆さんが子供らや孫らをこの辺でお守りしてからな。」 と言い換えた。 私は、祖父が気恥ずかしいだけでなく、この池の亀に祖母との出会いのお礼をしたくて、席を外したのだと思った。そして、意中の人に告白することを決意した。 了 <著者紹介> 倉嶋 秀樹(茨城県牛久市/37歳/男性/会社員) |







