<第1回応募作品>『ぷれぜんと』著者:高橋 祐太
2006 / 09 / 01 ( Fri )
 あー、むかつく!
 都立高校の合格発表のあった日の夜だ。あいつ、何てメールしてきたと思う?
「今度の土曜、ヒマ?付き合ってよ」
 デート?
 そんなんじゃないって。あいつなんて別にどーでもいい存在だ。ただ、近所ってだけ。小学校6年間と中学3年間、たまたまずっと一緒のクラスだったけど。もっとさかのぼれば、幼稚園も同じ。そりゃ長いけど、そう、腐れ縁とかいうやつ。嫌だ、嫌だ。
「ある人にプレゼントしようと思ってるんだけど、何を贈ったらいいか分からないから、選ぶの手伝って」
 ある人?
 何それ?
 好きな子ってこと?
 いっちょまえに色気づきやがって。プレゼントだと?
「相手は誰? 同じ学年? 何組? アタシの知ってる子?」
メールであまりにしつこく訊ねたので、あいつは逆ギレした。
「誰だっていいだろ」
 誰でもよくないだろ。卒業を前にして、片想いだった子に贈るつもりだろうか。そこでアタシに助けを求めにきた。普通、そういうこと、別の女の子に頼むかよ。
「アクセサリーなんかがいいんじゃないの?
でも、アタシの意見、参考にならないよ」
「いいんだよ。お前だって一応、同じ女だろ」
 一応、は余計だろ。なんでアタシがあいつの恋の手助けをしなきゃいけないんだ。けど断ったら、やきもちを妬いているんじゃないかって思われるのが癪だから、こう返信した。
「しょうがないから付き合ってやる。その代わり、メシおごれ」
 送信してから失敗したと悟った。案の定、食い気に対して、ツッコミを入れられた。

 土曜は渋谷で待ち合わせた。近所なんだから一緒に行けば、せめて地元の調布からでもいいと思うかもしれないが、そうはいかない。クラスメートの誰かに見られでもしたら大変だ。
 よく考えてみたら、あいつと二人きりになるなんて、中学に入って初めてかも。小さい頃はよく一緒に遊んだし、よく泣かした。アタシがあいつを泣かしたっていう意味。だって、あいつ、ウジウジしているから、ついキツイこと言ったり、蹴りとか入れたくなるんだよね。ま、昔のことは水に流してって言いたいけど、今でも根に持っているんだろうな。掃除当番の時、ほうきでゴミをアタシに向かって掃いてくる嫌がらせをするくらいだから。
 モヤイの前で待っていたら、いきなり背後からダッフルコートのフードをかぶせられた。やりやがったな。せっかくの髪型が台無しじゃんか。アタシは思いっきり睨み返した。からかうようにしてあいつは覗き込んできた。
「お前って、よく見ると可愛いな」
 えっ……。
「化粧がうまいんだな。てゆうか、化粧、濃
くない?」
 余計なお世話だ。まったく頭に来る奴だ!

 春休み前なのに、渋谷は賑やかだった。いつもそうなんだろう。マルキューへ入ろうとして、あいつは躊躇した。恥ずかしいのだ。実はアタシもマルキューは初めて。でも、女の子の定番といえばココでしょ……たぶん。
 あいつはいちいち意見を訊いてくるのだが、アタシの反応がイマイチだったからだろう、なかなか選べずにいた。はっきり言って、アタシ、あんまり興味ないんだよね、アクセサリーとかって。
 スペイン坂でも決められず、あいつは原宿へ行こうと言い出した。アタシはお腹が空いて、仕方がなかった。しかし、乙女としては口が裂けても言えない。か弱いフリしてみた。
「アタシ、もう歩けない」
「なんだ、もう腹減ったのか」
 なんでズバリ言い当てるんだ。あいつは懐石料理なんて年寄りくさい、失礼、高級そうなお店へ入ろうとした。あいつなりのサービスのつもりだったのだろうけど、アタシは慌ててマックでいいと引き止めた。プライドが許さないのか、イタめし屋になったんだけど。
「お前、北高に決めたんだろ」
「近所だからね。ぎりぎりまで寝ていられるし。それにしても、またあんたと一緒だよ」
「俺、私立へ行くことにしたんだ」
 初耳だった。合格発表の時、お互いの受験番号を見つけて喜んだのに。
「残念だな。からかう相手がいなくなって」
「こっちだって、もうこんな厄介なことに巻き込まれなくて済むと思うと、せいせいする」
 そっか……別れ別れになっちゃうのか。そうしたら、あいつは言った。
「別に永遠の別れってわけじゃないしな」

 昼飯後、再びあいつは買い物の続きをした。
アタシはうわの空だったので、あいつが怒っていることに気づかなかった。
「どっちがいいか、決めろよ」
 アタシはキレた。
「なんで、アタシが決めなきゃいけないのよ。アタシは関係ないでしょ!」
 アタシはお店の前で、お客や通行人が見ているのも構わず怒鳴り散らしていた。
「第一、プレゼントする前に、相手に気持ち伝えたらどうなの!」
「できるわけねえだろ」
「どして?」
「……いいんだよ。ただ、俺のこと、ちょっとでも覚えてくれていたらと思って」
「分かんない。全然、分かんない」
「分かってたまるか」
「女の子はモノより気持ちの方がずっとずっと嬉しいの!」
 いきなり周囲から拍手が起こった。ギャラリーの野次馬たちが一斉に手を叩いていた。アタシは顔から火が噴き出るような思いで、一目散に逃げ出した。走って、走って、走った。が、その腕を掴まれた。あいつだった。あいつの握りしめる力は強く痛かった。
「悪かったよ。お前にこんなこと頼んじゃって。もう帰ろう」
 アタシは何も言えなかった。

 調布の駅に着くまでアタシたちはずっと無言だった。改札を出て、バスで帰ろうと思っていたアタシに、あいつは自分のチャリンコの荷台を示した。いつもなら、憎まれ口でも叩いて何か言い返すアタシだが、おとなしく従った。でも、やっぱりアタシはアタシ。二人乗りったって、普通の乗り方じゃない。後ろ向きだ。
「女らしく横坐りしろとは言わないけど、フツー、そんな乗り方するか?」
「だって、疲れたから、背もたれがほしい」
 アタシはあいつの背中に寄りかかった。
「それとも、腰に手を回してほしかった?」
「バ〜カ」
 あいつは御塔坂をいっきに駆け上ろうとした。アタシはバランスを崩し、荷台から飛び降りた。あわやひっくり返るところだった。
「それがレディに対する仕打ち?」
「だから、ちゃんと坐れって言っただろ」
 しょうがなくチャリンコを押して、アタシたちは歩いた。
「このまままっすぐ行くと北高だな」
「あんたはこの道を下って、通学するんだね。アタシと正反対」
 深大寺入口の信号まで来た時、気づいた。
「ねえ、ちょっと寄っていこうよ」

 深大寺はちょうどだるま市で、屋台の並ぶ境内はものすごい数の人と威勢のいい声で熱気に包まれていた。アタシはもみくちゃにされ、あいつの姿を見失った。見回してもどこにもいない。焦った。そして、心細くなった。思わずあいつの名前を叫んでいた。するといきなり、目の前にチョコバナナとあんず飴とタコ焼きが差し出された。あいつはアタシの気持ちなんか知らずに抜かしやがった。
「そろそろエサの時間だと思って。あれ、食べないのか?」
 もちろん食べるさ。現金な奴だ、アタシは。
「だるまは買わないの?」
「受験が終わったら、必要ねえよ」
「恋愛成就祈願ってのもあるよ」
 アタシの目に入ってきたのは、ピンクとブルーの小さなだるまのセットだった。
「これ、これ、これにしなよ、プレゼント」
「こんなのが? この色、気持ち悪いぞ」
「カワイイじゃん。絶対、いいって。ピンクのだるま、もらったらきっと嬉しいよ」
「そうかな……」
 気乗りしないあいつを見て、アタシは気づいた。これはアタシがもらうんじゃない。
「そうだね……アタシはカワイイと思っても、その子は気に入らないかも……」
 アタシとあいつは植物公園の前で別れた。
「じゃあね」
「じゃあな」
 いつもと同じ挨拶。でも、これが最後の挨拶かもしれない。

 家に帰ると、アタシはぐったりとベッドに倒れ込んだ。
「痛ッ」
 首の付け根に何か当たった。ダッフルコートのフードの中だ。また、あいつの悪戯か?「……!」
 アタシはそれを手にしたまま、じっと見つめていた。何だよ、あいつ。何なんだよ、あいつ。アタシは怒っているのに、笑顔を作り、しかも涙までこぼしていた。忙しいやつだ。
 アタシの手の中にあるのは、小さなピンクのだるま。





<著者紹介>
高橋 祐太(東京都調布市/34歳/男性/脚本家)










テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

11:12:51 | 第1回応募作品紹介(計16作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第1回応募作品>『深大寺恋物語』著者:長沼 直
2006 / 08 / 25 ( Fri )
 新緑の深大寺は、木漏れ日が溢れ、流れる水も輝いて、眩しいばかりだった。打ち水された石畳までが春を喜ぶようで、行き交う人の足もとも軽やかだ。門前に並ぶ店からは、茹で上がったばかりの蕎麦の香りがこぼれ出し、舌鼓を打つ人々のざわめきが聞こえる。こんな佇まいが、深大寺の魅力の一つと言えるだろう。
 爽やかなせせらぎに乗って、今、僕の傍らを五月の風が通り過ぎていく。

「おや、可愛い赤ちゃんだな。」
 お母さんがニコニコと赤ちゃんをあやしている。今は母となったこの娘のことを、僕はよく知っていた。もちろん、この赤ちゃんのお父さんのことも忘れられない。ほぉら、現れたよ。面影はそのままだ。この二人の間にできた赤ちゃんだったとはね。時の流れるのは早いものだ。まるでさっき通り過ぎていった風のように感じられる。
 この二人を初めて僕が見たのは、あれはもう十年も前のことだろうか。まだ二人とも幼い感じの学生だった。いつもこの石畳を歩いて…。そう、手も繋がずに歩いて、門前の石段を登って行った。
 あれは何度目のことだっただろう。寒い冬の日だった。うっすらと雪が積もっていた。夕暮れは早く、小百合ちゃんは寒そうにじっと待っていた。ときどき足踏みをしながら。僕は彼女に尋ねた。
「そんなところで立っていたら、足も手も冷たかろう。」
 小百合ちゃんは言った。
「ちっとも寒くはないの。だって待っていることが嬉しいんだもの。」
 僕はなるほどと思った。彼女はきっと寒くはないのだ。そう思ったのは、僕を見つめる小百合ちゃんの瞳が輝いていたからだ。彼女はそのきらきら輝く瞳で僕を見つめながらおしゃべりを始めた。
「もうすぐ私ね、彼と結婚するの。きっとすてきな家庭を作れると思うわ。」
 僕にもそんな気がして、彼女の報告がとても嬉しかった。うなずいて聞いている僕に、小百合ちゃんは彼のことを話しだした。
「彼ってね。ほんとは、とっても気が小さいの。優しいくせに強がりを言うし、私には偉そうにいばったようなことも言うのよ。でも、私はそんなところも全部好き。どうして好きだかわからないくらいに、そんな彼のことがみぃんな大好きなの。」
「あはは。そうかい。そうかい。」
 僕は、『そんな男はやめちまえ。』なんてことは、心に思っても言い出さなかったさ。父親のような心境だったのかもしれないな。それに、誰でも男にはそんなところがあるからね。僕だって強がってばかりいるけれど、一番傍にいてくれる人には、なんでもかんでも預けてしまいたくなる。そんな気持ちがあるしね。一緒になる前に、男のそういう弱い部分もちゃんと受け止めているんだから、きっと幸せになるだろう。そう思ってニコニコと聞いていたよ。
「ほら、政人君のお出ましだ。」
 僕の声も耳に入らないかのように、小百合ちゃんは彼の元へ駆けて行った。そして、まるでじゃれつく子犬みたいに政人君の腕にしがみつき、そして彼を見つめた。意地の悪い北風もたまにはいいことをするものさ。二人が真っ直ぐ見つめ合ったそのとき、彼女の背中をピューっと思い切り押したんだ。「時が止まる」ってことを知っているかな?
 言葉だけならみんな知っているだろう。でも、ほんとに時間は止まったり速くなったりするんだよ。まったく天の時というのも粋な計らいをするものさ。周りのみんながじっと息を詰めて、二人の時間を止めた。小百合ちゃんは政人君の胸の中へふんわり倒れこむと、冷たくなった頬を赤らめながら、そっと彼を見上げていた。きっと彼女は、彼の胸の中を蒲団のように暖かく気持ちがいいと思ったことだろう。その証拠に、彼女はうっとりとして目を瞑ってしまった。政人君はちょっとどぎまぎしていた。小百合ちゃんの可愛い唇がすぐ目の前にあるのだからね。彼は身じろぎもせず、目だけで天を仰いでいる。さっきまでの夕暮れはもう夜の闇に取って代わられていた。一瞬、政人君がきょろきょろと首を回した。僕はもう北風と笑っていたよ。さあ早く。時が動き出す前に、さあ早く。君の愛した可愛い彼女に、君の唇で気持ちを伝えなさい。おせっかいな夜の帳もざわめきだした。
「こんなときは本当にじれったい。」
 気の短い北風がそんなことを呟いた。誰もがじっと息を詰めて二人を見守っている。
 そのときだった。二人の周りがピンクに染まって燃えている。僕はこんな景色を何度も見てきていた。北風もほっとしたように見つめていたよ。二人を包むピンクの炎。こんな素敵な景色は他にはないだろう。誰の目にも映らない二人だけの時間が、二人の中だけに流れている。話し声が聞こえるようだ。
「あなたを愛してるわ。大好きなの。」
「ぼくも君が大好きだよ。誰よりも愛しているよ。」
 二人の心の声が、ピンクの炎の中で燃えている。そっと二人が体を起こして見つめ合った瞬間、そうさ、時間が流れ出した。息を詰めて時間を止めていたさまざまな精霊たちも、一瞬にして姿を消した。きっとみんなほっとしたことだろうよ。北風ももうひと働きしてくると僕に告げて、飛び立っていった。小百合ちゃんは微笑んでいた。政人君も照れたように微笑んでいた。二人は僕の前をゆっくり手を繋いで歩いていった。彼の右手には彼女の左手がしっかりと握られ、その手は彼の大きなポケットの中に入っていた。
 あの二人が今はもう父親と母親になったなんてね。これからきっとあの新しい命の塊みたいな赤ん坊に、二人の気持ちをいっぱい伝えて育ててくれることだろう。二人と小さな一人を見送りながら、そんなことを僕は思っていた。

「よっこらしょ。」
 誰かと思えば、もう何百回となく僕にその言葉を聞かせてきた女性の姿がそこにはあった。足も腰もひどく重そうだ。あぁ…。もちろん早苗さんのことも僕は知っている。もう五十年以上になるのだろうか。彼女の周りの時間は今はもうゆっくりゆっくりと進んでいる。早苗さんもそれをわかっているようだ。穏やかな瞳でこの深大寺を見つめてきた一人だった。
 早苗さんがこの深大寺の中でも有名な蕎麦屋に嫁いできたのは、深大寺が紅葉で染まる季節だった。若い嫁として店を手伝い、そしてやがて子どもができると背中に背負い、緑豊かな深大寺の境内を子どもたちは駆け回り大きくなった。豊かな水に支えられたこの深大寺で一生を送ってきた彼女の瞳は、僕と同じようにこの地を愛してやまない瞳に見える。「よっこらしょ」という言葉が早苗さんの口から出るようになったのは、彼女の夫が亡くなってからだった。僕ははっきりと思い出す。彼女が僕の傍に駆けてきて、声を殺して泣いていた夜のことを。人はいつかは死を迎える。そして、長い人生を共に歩くということもたやすいことではない。それだからこそ彼女は、この深大寺に嫁いだ日からのことを振り返って、現実となった別れに涙を流したのだろう。

「よっこらしょ」と言う口癖は変わりなかったが、早苗さんは微笑んで僕を見つめていた。そっと僕に触れると、懐かしい気持ちがその手のひらから流れ込んでくる。彼女の心の中に、今は何かしら暖かな想いが育まれているようだ。僕は早苗さんに尋ねた。
「何かいいことでもあったのかい?」
 彼女はふっと笑って黙った。けれど僕には彼女が幸せな気持ちに浸っているのがはっきりわかった。見つめる彼女の瞳はただ優しくて、僕は穏やかな幸せな気持ちを分けてもらっているような気分になっていた。
 きゃっきゃと走り回る子どもたちからは、溢れるようなエネルギーを与えられる。こうして年老いた彼女からは、今まさに深い慈愛のような心地よさを与えられていた。空にも風にもそれぞれに役割があるように、赤ん坊にも、子どもたちにも、若い男女にも、そして年老いた人々にもその役割がある。この地球上のすべてのものたちは、互いに連動し合いかかわり合って、そのエネルギーを交換し合っているのだろう。
 早苗さんは僕をゆっくりと擦った。その手は痛みを知った尊い手だった。
「よっこらしょ。」
 彼女はもう一度そういって立ち上がると、ゆっくりと彼女の方へ近づいてくる老人に会釈をした。言葉を交わすわけでもない。ただ眩しいばかりの生まれたての若葉を二人で眺めている。そのとき僕には見えた。蜻蛉のようにうっすらと二人を包むピンクの炎が…。足も腰も支えるのが精一杯のはずなのに、今二人の心は軽やかに青空を駆けている。

 爽やかな五月の風が花びらを揺らした。二人が僕の花びらを見つめながらこう囁いたのが聞こえた。

「今年も綺麗に咲きましたね。」
「あぁ、ほんとうに綺麗な、そして不思議な花だね。このなんじゃもんじゃの花は…。」



<著者紹介>
長沼 直(東京都練馬区/44歳/女性/主婦)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

17:53:38 | 第1回応募作品紹介(計16作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第1回応募作品>『手に温度』著者:佐藤 里奈
2006 / 08 / 18 ( Fri )
 このところ、携帯電話を握っている時間が確実に増えた。誰かからの連絡を待つ時間が増えたということだ。それは、楽しくもあり、息苦しくもある時間だった。
 麻衣は携帯の液晶画面をちらっと確認して、小さくため息をついた。翼からのメールはない。二つ折りにパチンと閉じる音が妙に大きく聞こえた。携帯をテーブルの脇に置き、お茶でも飲もうと冷蔵庫を開けに立ったとき、ブーンと振動音。麻衣はぱっと携帯を開き、メールを確認した。翼からのメールだった。そういうちょっとズレたタイミングだ。小さな落胆のあと、それを振り切って、諦めがついたころ。 それでも嬉しくてメールを読んで返事を打つ間、麻衣は顔にうっすら微笑みを浮かべている。送信して、携帯を閉じる。また翼からの返事を待つ時間。
 今、二人を繋いでいるのは携帯電話だけ。麻衣のもとから350キロ離れた東京三鷹に、翼は暮らしている。
 毎日ゆるやかに続く、翼からのメールに一喜一憂。不安になったり心配になったり、嬉しくなったり笑ったり、どうしようもなく会いたくなったり。そうして自分がメールに振り回されていると思うと苛立ちもしたが、翼とのやりとりでは許せてしまう。それはたぶん離れているからだ、と麻衣は思う。離れている自分たちを繋ぐものは、この携帯電話のメールしかない。そう気づいたとき、麻衣は翼にこう伝えた。

すぐに返事できるかわからないけど、いつでもメールしてね。

けれど、途切れることなく送受信を繰り返していると、 麻衣はときどきわからなくなる。自分はいったい何と繋がっているのだろう、向き合っているのは、この小さな機械じゃないか、と。翼との繋がりを確かめたくて、翼の気持ちを確かめたくて、麻衣はついつい挑発的な言葉を選んでしまうことがある。そしていつも後悔する。

怒った?
なんで?むしろニヤけた。
わざと言ったから。うーん、試した。
試す?そんなことしなくていいよ。…

翼は、麻衣のほうが恥ずかしくなってしまうような甘い言葉で、麻衣の不安をくるっと包んでしまう。翼の腕の中にいるみたい、そう感じると安心して、素直に「ごめんね」と言える。メールは表情が見えないぶん、本当に怒っているのか、冗談なのかわからない。
返事を待つ間の後悔と不安、怖いくらいだった。もうあんな気持ちにはなりたくない。試さなくてもいいという、翼のまっすぐな気持ちを信じよう、と麻衣は思った。
日差しと湿気で空気が重みを増し、夏の気配を感じるころ、麻衣は友人の部屋で妙なものを見つけた。目玉おやじの棒付きキャンディ、ブルーベリー味。
「有加ちゃん!これなに?」
「ああ、それ意外においしんだよ。食べてみて?ちょっと途中気持ち悪いけど。見た目が」
「目玉の親父?」
 有加はニコニコして「そうだよー」と言う。
「ちっちゃいころから好きなんだよねー、鬼太郎。なんか懐かしくてかわいくて買っちゃった」
 竹串に刺さった目玉の飴を有加は麻衣に手渡して、自分も一つほおばった。
「かわいい…わ。かわいいような、きもちわるいような。キモチワルカワイイ」
 そう言って麻衣も目玉を口に入れた。ほわん、と甘い匂い。懐かしいような、優しいような。
「うん、私も好きだったよ、鬼太郎。テレビ欠かさず見てた。妖怪の学校行きたかった」「行きたかった行きたかった。試験ないの、いいなあって」
「そう!むしろ夜中迎えに来てってかんじ」
 目玉の飴をなめながら、二人は声をたてて笑う。有加は、そういえばと甘い息で言った。「調布の深大寺ってところに鬼太郎茶屋っていうのがあるらしいんだけど、麻衣知ってる?」
 一瞬息が止まったかもしれない。麻衣は自分の身体がきゅっと固まるのを感じた。ゆっくりまばたきをしてから問い直す。
「どこだって?」
「調布。深大寺」
 聞き覚えがあった。随分前に翼が話してくれたはずだ。お祭りの話だったっけ?

  ねえ、翼の家の近くに鬼太郎茶屋があるってホント?
  ああ、深大寺のところでしょ?
  行ってみたい。
  じゃあ今度行ってみようか。深大寺は近いしよく行くよ。東京っぽくなくていい味だしてる感じが好きなんだ。麻衣にも見せたい。
  楽しみにしてる!

 雨が降っていた。
 麻衣は翼が運転する車の助手席で、左手に広がる森を見ていた。
「あのさ、次の信号左に曲がったら、深大寺の前なんだけど、俺が地元で一番好きな道なんだ」
 車はゆっくり左折した。
「うわ、すごい。木のトンネルだぁ」
 翼が車の速度を落す。麻衣は身を乗り出した。よく見ると両側の木は桜だとわかる。
「春とか…すごい綺麗なんだろうな」
「うん、みんなここで20キロくらいに速度落としてゆっくり運転するから渋滞しちゃうんだよね」
そう言って笑う翼の隣で麻衣は「今私、好きな人の好きな場所に一緒にいるんだなぁ」と思い、なんだか息が詰まるくらい、いとおしい気持ちでいっぱいになった。
車を蕎麦屋さんの駐車場に止めさせてもらい、翼は蕎麦屋さんに声をかけに行った。麻衣は傘をさし、翼が来るのを待った。透明なビニール傘越しに木々の枝葉を見上げると、大粒の雫がぽたんぽたんと傘をたたく。
「お待たせ」
「…すごいね。トトロの森みたいだね。このバス停でずっと待ってたら、猫バスが本当に来そう」
「んん、言われてみれば。今まで気にしたことなかったけど、そうかも」
 少しサビのついた停留所看板は、バス停ではなくタクシー乗り場と書いてあった。
「あそこの蕎麦屋のおかみさんが言ってたけど、今日は月曜日で植物園が休みだからほとんどの店もお休みだって。鬼太郎茶屋も休みかも」
 石畳の参道に差しかかったころ、翼が言った。
「ホントだ。閉まってるわ」
 すぐ左側に一目でそれとわかる鬼太郎茶屋があった。
「麻衣、上、上!」
 見上げた木の上に「鬼太郎の家がある!」と麻衣がはしゃぐ。それを見た翼も「この車、ぬりかべだし」と笑う。
「見て、庭にもいっぱい。ぬらりひょんまでいる!ああ今度は絶対、絶対月曜以外の日に来る!」
 ひっそりした参道に二人の笑い声が跳ねている。
 参道を進む間、翼は麻衣に話し続けていた。
「店が開いてるとね、お祭りみたいなかんじなんだ」とか「この裏の植物園、小さいころおじいちゃんとよく行ったなぁ、自転車で」とか「初詣は毎年ここって決まってるんだ」とか。そして山門の前で、ゆっくり石段を上ってくる麻衣を振り返って言った。
「蛇の目傘あったらなぁ。ビニ傘じゃちょっとなぁ…」
「浴衣に蛇の目が似合う風情?」
 麻衣は少し傘を持ち上げて笑った。
 山門の草葺屋根は、空からまっすぐ落ちてくる雨を吸い込んで、またまっすぐに雨垂れを落としている。麻衣は先に歩く翼の背中に話かける。「でもビニ傘は味気ないけど、透明だから景色がちゃんと見えるよ」普段は見ることができない翼の背中も。
境内は凛とした静けさに包まれて、その中にあるのは雨の音と二人の足音だけだった。翼の穏やかな顔の表情や声色は、深大寺の空気に溶け込んでしまっているようだと麻衣は思う。翼はきっと、この社がいつできたとか、この石はいつからここにあるとか、いちいち考えないのだろう。翼にとってそれはこの場所に当たり前にあるものとして、身体の一部に含まれているように馴染んでいるのだろう。
そう思うと、今深大寺に来ていることは麻衣にとって翼をもっと近くに感じることと同じだ。
「ここって恋愛成就のお寺なんだって」
「そうなんだ」
「最近知ったんだけどね。小さいころから来てるのに」
そう言って翼は笑う。
「…なんか、小さいころから馴染みのある景色の中に麻衣がいるって、変な感じ」
翼と、見上げた麻衣の視線が絡む。
「だけど、すごくいい」
翼があまりにも嬉しそうな顔をするので、麻衣は翼の手をぎゅうっと握る。自分も翼の中の一部になってしまいたいというように。
境内を背に、赤い橋と石橋が二つの社の浮島を結ぶ池に出る。紫陽花が池の端を飾っていた。静かに、大きく。池に手を伸ばしている木々たちも、しっとりと雨の雫に濡れていた。翼が呟く。
「雨もいいもんだね。なんだか綺麗だ」
「雨も好きになった?」
「うん」
今この景色を二人で並んで見ていること、今日翼と一緒にこの雨の日を好きだと思うこと、それが嬉しくて麻衣は翼に寄り添った。メールのときのように実体があやふやになったりしない。
あなたが隣にいて話す。あなたの声が聞こえる。手をつなぐ。あなたが温かい人だとわかる。ぎゅっと力をこめる。あなたが握り返してくれる。私たち、ちゃんと繋がってる。お互いの手で。離れていても大丈夫。きっと私、この手の感触を覚えている。思い出せる。麻衣は祈るような気持ちで目を閉じた。翼の手のぬくもりを、力強さを確かめながら。




<著者紹介>
佐藤 里奈(愛知県名古屋市/23歳/女性/アルバイト)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

10:50:52 | 第1回応募作品紹介(計16作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第1回応募作品>『おんぶ』著者:野末ひな子
2006 / 08 / 11 ( Fri )
 薫には、まさかの失恋だった。和樹が友達の奈穂と自分と二股をかけていたなどとは思いもよらなかった。
 均整のとれたプロポーションとキュートな小顔を持つ薫にいい寄る男は何人もいた。和樹に絞ったのは、薫好みの繊細な容姿が大きな魅力だったが、それ以上に二十五歳だった薫が結婚を真剣に考える年齢だと自覚したからであった。
 それなのに、当時あれほど結婚しようと迫っていた和樹は、二年経っても結婚を具体化する気配がなく、逆に一週間前に「実は奈穂と付き合っているんだ。ごめん」と今日の深大寺行きを断ってきたのだ。
 傷心からか体がだるいし熱っぽい。何もしたくないけど、何かをせずにいられない。のろのろと立ち上がると、予定通りホームページに載せる写真を撮りに深大寺に向かった。 神代植物園の門を入ると広大な自然が目の前に広がっている。薫は花木の写真を撮りながらハナミズキ園に来た。木を見上げると葉の隙間に赤い実がなっている。薫はデジカメを構えた。
 その時、背後でシャッターの音がした。振り返ると、三十過ぎの赤のアロハに茶のジャケット、ジーンズ姿のがっちりとした体躯の男が、一眼レフのカメラを覗いている。撮り終えた男は、薫の視線に気が付いたらしく照れたような笑みを浮かべた。
 ださいのは服装のセンスだけでない。顔つきもギョロ目に大きな口、色黒の見るからに暑苦しい顔をしている。薫は思わず目を逸らした。
 男を無視して歩き始めると、男は親しげに話しながらついてくる。
「あの木、ハナミズキっていうんですよね」
男の馴れ馴れしさに警戒しながら、
「そうです。ホームページにハナミズキの紅葉を載せようと思ったのだけど、ちょっと早かったみたい」と素っ気なく答えた。
「えっ、ホームページ持っているの? 見たいなあ。ね、アドレス教えてくれない?」
薫は口が滑ったと後悔した。それが表情に現れたのか、男は慌てて付け加えた。
「あ、僕、怪しい者じゃないです」
 男はポケットをまさぐって探しあてた名刺を薫に差し出した。名前は木原ひろし、A広告代理店のコピーライターとある。薫が仕方なくパソコンで作った名刺を出すと、木原と名乗る男は「薫さんですか。よろしく」と押し戴くようにしてポケットにしまい込んだ。 植物園の出入り口にあたる深大寺門を出ると石畳の坂道がある。坂の途中にある門から境内に入ると、木原もついてきた。和樹のようなハンサムな男、とまでの欲は言わないが、人一倍面食いの薫は木原と肩を並べて歩くのが厭だった。だが、木原はまるで薫と旧知のような親しさで寄り添ってくる。
 深大寺の御堂をカメラにおさめた木原は、「縁結びの神様らしいですよ」と言って賽銭を投げ入れると手を合わせた。
「へえーそうなんだ。じゃ、私も祈ろっと」薫は慌てて硬貨を賽銭箱に入れると、和樹が戻って来ますように、と長〜い時間を掛けて祈った。

 あれから一週間が過ぎた。木原は頻繁にメールを送ってくるようになった。木原のメールには人を惹きつける魅力がある。しかし、読み終えると木原のことはどこかに追いやられ、いつの間にか和樹のことを考えている。
 最近、薫は体に異常を感じていた。疲れやすく、息切れや動悸もする。顔面蒼白の娘を心配した母は強引に病院に連れて行った。
 血液検査と悲鳴をあげそうな痛い骨髄穿刺の検査で「再生不良性貧血」だとわかった。 医師は厄介な病気だが、軽症なので、まず蛋白同化ステロイド薬の投与で様子をみましょう、と言った。
 ネットで病名を検索した薫は、病気が難病だと知った。進む道もない、掴む所もない宇宙にいきなり放り出されたような気がする。
 終日、ベッドに横たわっていると、健康な時は意識さえしなかった他愛のない事が、あれもこれもまだやっていないと大きくクローズアップされてくる。
 こんな時、和樹がいてくれたらどんなに心強いだろう。携帯電話を手にとって保存してある涼しげな顔の和樹の写真を眺めた。奈穂が独占しているのだと思うと悔しくてたまらない。
 涙が溢れてきて目をしばたたいた時、携帯のバイブ音が鳴った。見ると薫の病気を知らない木原から能天気なメールがきている。
 薫はふと木原に病状を知らせたい衝動に駆られた。メールを送信すると、一分も経たないうちに返事が来た。気が動転しているのか珍しく誤字脱字のひどい文だ。木原は無神経なメールを謝り、病気を知らせてくれなかったことを詰っている。そんな木原のメールを和樹からのメールに置き換えてみた。すると幸せな気分になってきた。薫は木原に返事を書いた。
「病気って、未来を覆い隠して絶望的な心境に追い込むよね。これって結構残酷。いっそ狂って何もがわからなくなるといいな。そうしたら楽になれるかも。副作用もひどいし」 木原から直ぐに返事が来た。
「あのさ、提案。辛い時、独りじゃないと声に出して言ってごらんよ。元気が出ると思う。それから副作用があると書いてあったけど、どんな症状なの? 僕に何かできる?」
 そんなこと訊ねられても、副作用で髭が濃くなり声も太い男性化が進んでいるとは言えるはずがない。私はプライドが高い女なのだ。
 返事を書きあぐねていると携帯が鳴った。
 驚いたことに電話は和樹からで、菜穂と別れたからデートしないかとの誘いだった。病気だと告げると、見舞いに行くよと言う。優しい言葉にホロリとなって副作用で顔がひどいことを打ち明けてしまった。すると和樹は、じゃ無理だな。元気になったら会おうぜ、とそそくさと電話を切った。切れた携帯から流れるプープー音を聞きながら、和樹への熱い想いが急速に冷めていくのを感じていた。
 それからの薫は不安と空虚さを紛らわすかのように木原と電話で話すようになった。気が付くと薫ひとりが喋っている。木原は話をじっくりと聞き、適切な相槌を打ってくる。 ある日、木原が、「気分のいい日があったら、深大寺に行ってみない?」と言った。外の空気を吸わせてやろうとする木原の好意だったに違いない。しかし、気が付くと薫はヒステリックに叫んでいた。
「木原さんなんか大嫌い。副作用のこんなひどい顔で外を歩けると思うの?こんな顔を見られるなら死んだ方がましだわ」
 木原は答えず、しばし沈黙の時が流れた。それから諭すように静かな口調で言った。
「顔が醜くなったから死にたいなんて贅沢だなあ。僕なんか生まれつきこの顔なんだからね。ひどいって言っても僕よりずっとましだと思うよ。それに薬をやめれば元に戻るしさ。僕がいう資格はないけれど、顔なんか問題ないんじゃないのかなあ」
 薫ははっとした。僕がいう資格……木原の言葉は、実を知らないでスープの上澄みだけの世界で生きてきた薫の傲慢さを突いていた。

 桜にはまだ早い三月の中旬、木原が車で迎えに来た。都会の喧騒から離れた深大寺界隈は昔懐かしい雰囲気を漂わせている。
「あれを見てごらんよ」
 木原が指差す方を見ると、蕎麦屋の前に緋毛氈を敷いた縁台がある。ほかの店の前には休憩用の椅子が置いてある。
「深大寺の蕎麦屋っていいよな。さりげない温かさ。ね、そう思わない? 蕎麦がうまいのは蕎麦そのものと、うまいと感じさせる心配りじゃないかな。お参りを済ませたら蕎麦を食って土産物店を覗こうね」
 薫は頷いて周囲を見た。すると店も景色も、そして漂う風にさえほのぼのとしたものを感じる。
 寺ヘは石段を避けて坂道から行くことにした。坂の勾配は緩やかだが、病身の薫にはこたえる。すばやく察知した木原は、「おんぶしようか」と言った。薫は「いやよ。恥ずかしいわ」と首を強く横に振った。「恥ずかしがることなんかないよ」そういうと薫の前にしゃがんだ。「早く」と急かされて、厚い背中に体を預けた。木原の背中に顔を凭せかけると、日光をいっぱいに吸収したような陽の匂いがする。安心して身をゆだねることができる大きな背中である。
「重いでしょ」「軽すぎるよ」彼の声は涙声に聞こえる。
薫は、親鳥の愛情を一身に受けている雛鳥のように甘やいだ気分になった。
「私、死にたくない。木原さんといつまでも一緒にいたい」と木原の後ろ耳に囁いた。
「僕は薫さんが好きだよ。君のぬくもりを背に感じている僕は、世界一幸せ者だね。僕は薫さんのために生きる。だから僕のために生きて欲しい。初めてハナミズキの下で君を見た時、顔が真っ青なので驚いた。心配で後を付いて行ったんだ。君は突っ張っていたけど、それが僕にはすっごく可愛く見えた。白状するとね、あの時、深大寺で薫さんと交際できるように祈ったんだ」
 語尾は聴き取れないくらいの小声だった。
「そうだったの。真っ暗な宇宙を彷徨っていたみたいだったけど、木原さんにおんぶされて、やっと安らげる場所にたどり着けたって感じ。木原さんの背中って大きくて好き」
 木原は背中の薫を揺すった。
「僕におぶさっていればいい。薫さんの苦しみや悲しみを全部背負っていくからね」
 薫は木原の背中に顔を埋めて泣きじゃくった。
 二人が深大寺の前に立ち手を合わせた時、薫は木原と思いが重なるのを感じていた。




<著者紹介>
野末 ひな子(東京都杉並区/女性/主婦)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

14:12:43 | 第1回応募作品紹介(計16作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第1回応募作品>『金賞のカップル』著者:佐藤洋一郎
2006 / 08 / 04 ( Fri )
 何を隠そう私の彼は亀だ。
 別に甲羅があるわけではなし、のそのそ歩くわけでもない。苗字にも名前にも「亀」が入っている訳でもないし、持ち物全てに亀のエンブレムが入っているとか、家紋が亀の模様だとか、水の匂いがするとか、そんな事もない。
「俺、実は亀なんだ」
彼は昨日の夜、ビールを飲みながら言った。
それは「俺、明日仕事なんだ」というようにとても日常に溶け込んでいて、私はびっくりもしなかったし、泣いたりもしなかった。なぜかそれはそれでいいような気がした。
「そうなんだ」と私。
「びっくりしないの?」
彼は新しい缶ビールを開けながら言った。
びっくりしなかったけど、こういう時には何か聞いてあげた方がいいような気がしたので「じゃあ証拠は?」と聞いた。
彼は首から下げた鼈甲のペンダントを見せてくれた。
「親父の形見だよ、昨日送られて来たんだ」と彼。
その鼈甲は濃い琥珀色で子供の頃に食べた美しい等軸晶系の飴のようでとても懐かしい感じがした。
「親父はまだ生きてるんだけどね。でも親父が形見って言うから形見なんだ、きっと」
彼はキムチを一つまみ食べてビールを飲んだ。
「僕は明日、約束があるんだ」
私もキムチを食べた。
「それは慎吾として?亀として?」
彼はグラスに注いだビールが泡だらけになって慌てて口を付けた。
「まぁどっちかと言えば亀の方かな」
「ふうん」
私もビールを飲んだ。

 慎吾は畳に横になってサッカー中継を見ている。日本代表がWカップ出場を賭けて闘っていた。
「日本の亀は歴史上でも活躍しているんだ」
慎吾の背中が語る。
「浦島太郎の亀は僕の遠い親戚の正広さんだし、うさぎと亀のあの亀は、吾郎さんと言って僕のヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイぐらいのお爺さんなんだ」
「へぇ、慎吾の家って凄いんだね」
「亀ってとても鈍い感じがするけど実はそうじゃないんだ。鈍いのはどっちかというと外国の亀で、日本の亀は働き者で、いや、働き亀で、教訓やなんかもいっぱい残してるんだ。全部、亀島さんの受け売りだけど」
日本代表のFWが決定的なチャンスを外して大歓声が大きな溜息に変わる。
「亀島さんって誰?」
「えっ?なんだって?」
慎吾はTVのヴォリュームを下げる。
「亀島さんって誰?」
「ああっ、亀島さんね。昨日携帯に連絡があってさ、亀の中でも凄く偉い亀らしいよ。今どきの亀は携帯を持っているんだね。そういえば俺も持ってるけど」
「ふうん」それはそうだ。亀も携帯を持っていた方が便利だ。
「それで?」
「明日の午後、深大寺で待ち合わせをしたんだよ」
「調布の?」
「そう、香織さんも一緒にって、さ」
慎吾と私は深大寺で亀島さんに会う事にしなった。その時、日本代表のFWがゴールを決めてTVから大歓声が上がった。

 翌日、深大寺の待ち合わせ場所に向かうと、亀島さんが右手をしなやかに上げ、私達を出迎えてくれた。亀島さんは、私が思っていたような白くて長いヒゲや杖を持った仙人風ではなく、オーダーメイドのスーツを着こなした上品でお洒落な叔父様だった。帽子を取って挨拶をした。
「やぁ慎吾君、そちらは香織さんだね」
五月の光と風のような笑顔に私はうれしくなって微笑んだ。
「はい。初めまして」
亀島さんの微笑みは消えない。
「深大寺と言えば蕎麦だね、お二人は、蕎麦は好きかい?」
深大寺の蕎麦は有名だ。私達は幾つも並ぶお蕎麦屋さんのひとつ、「剛」に入った。亀島さんはこのお店の常連みたいで、迷うことなく奥のテーブルに着いた。どうやらそのテーブルは亀島さんの特等席らしかった。
「まかせて貰っていいかな?」
亀島さんは日本酒を二合と卵焼き、板わさ、焼き海苔を頼んだ。
亀島さんの笑顔と同じくらいに深大寺は素敵だ。お店の外を寄り添い歩く若いカップル。熟年のカップル。そして家族連れ。深く濃い木々の緑と枯れる事のない優しい水の流れが、みんなの日常のわだかまりをゆっくり溶かしてくれるのか、笑顔が溢れてる。
亀島さんは、NASAに頼まれてスペースシャトルの部品を作る会社を経営しているん
だよ、と、卵焼きを頬張りながら言う。
「亀ものんびりとは暮らせない世の中でね」
亀島さんはお店のお母さんに天ざるを三つ頼んで、天ぷらだけ先に、と言った。
卵焼きは少し甘くて、ほくほくして、とてもおいしい。卵焼きに良く冷えた日本酒。
これもまたとてもおいしい。
慎吾は板わさを食べて、うれしそうにワサビに目を瞑る。それを見て亀島さんが上品に笑う。私も板わさを食べ、卵焼きを食べ、日本酒をちびりとやり、海苔を食べる。そしてお腹が四分になって天ぷら食べたいなと思った頃、お店のお母さんがぴったりのタイミングであつあつの天ぷらを運んで来る。
「ここは塩で」
亀島さんはそう言って海老を頬張る。会話の代わりに私達のさくさくという心地良い音が三人分。さくさくの次はずるずるが三人分。亀島さんはそばつゆに蕎麦を全部つけない。先の方だけ、ちょろっとだけ。慎吾も私もその真似をした。蕎麦は素晴らしく、喉越しも風味も申し分ない。

「ところで」
蕎麦湯を飲んでいると亀島さんが言う。
「慎吾君、おめでとう。君は全日本亀審査会の金賞に輝いたんだ」
「それはありがとうございます」
慎吾は照れているが嬉しそうだ。
「先週、全国の亀の審査会があってね。君が亀・オブ・ジ・イヤーに選ばれたんだよ。今日はその授賞式なのだよ」
亀島さんは白いハンカチで口を拭き、内ポケットから一枚の封筒を取り出し、慎吾に手渡した。慎吾は表彰状を受け取るように恭しく両手で受け取る。
「開けてみたまえ」
封筒の中には一枚の申込書。
「私がその主催者なのだよ」
その申込書には「2005 深大寺そば祭縁結びそば」と書かれている。
「慎吾君と香織さんはこのイベントの特別参加の権利が自動的に授与されたわけだね。金賞のカップルという事でね」
名前のところには慎吾と私の名前がタイピングされている。
「昔は百年に一人とか、十年に一人の割合のイベントだったんだけどね。HPを立ち上げたら凄い応募になっちゃってね。まぁ途中で辞める訳にもいかないし、もともとは私があの青年を手助けしたのが始まりだからね。一年に一度ぐらいはあの頃を思い出して、手を貸してあげてもいいんじゃないかと思ってね」
亀島さんはそういうと名刺を取り出し、慎吾に渡した。
「何かあったらここに連絡してくれたまえ」
名刺には金の文字で微笑んでいる亀のロゴと、全日本亀審査会名誉会長 亀島拓也(本名 深沙大王)と携帯番号が書いてある。
「ちょっと失礼」
そう言うと亀島さんは店の外に出て携帯でなにやら話している。仕事の話しのようだ。NASAからの電話だろうか。忙しい人なのだ。お店に戻って来た亀島さんは「急に会社に戻らなくてはならなくなったから、すまないがここで失礼させてもらうよ、ゆっくりして行ってくれたまえ。十月にまたお会いしょう」そういうと帽子を被り、腕時計を見ながら急ぎ足で店を出て行った。
「俺、金賞だって」
「よかったね」
「うん」慎吾は嬉しそうだ。私も嬉しい。
私達は申込用紙に必要事項を書き込み、お母さんに渡し、お礼を言ってお店を後にした。帰り際にお母さんは「私達もずっと昔、金賞のカップルだったの」と笑顔で言った。
お母さんは亀島さんの奥さんだった。

 私達はバス停に続く小道を歩いている。小道は木々に囲まれ、木々の間から光が零れ落ちる。私と慎吾は光のシャワーを浴びながら歩いている。

 私の彼は亀だ。しかも金賞の亀。誰も信じてくれないだろうけど。
光の粒に包まれた慎吾が私の手を包む。私も慎吾の手を包む。私と慎吾の手の中には生まれたてのやさしい光の粒がいっぱい詰まっている。
私達は小道を抜ける。
「ビールを買って帰ろうよ」と慎吾。
「良く冷えた日本酒はどう?」
そう言いながら、私は五月の光と風のような亀島さんの笑顔を思い出した。





<著者紹介>
佐藤 洋一郎(福岡県福岡市/38歳/男性/ラジオ番組制作)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

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