<第2回応募作品>『蓮の恋』著者:大野 春子
2007 / 06 / 29 ( Fri )
深大寺の山門前の小路には小さなベンチがおかれています。ベンチのそばにはわき水の小川が流れ、朝には楓の古木がさしかける枝の間から木漏れ日が水面に映るのです。その水面に新しい蓮が顔を出しました。小さな蓮はつぼみをもたげて、枝をさしかけてくれる古木に話しかけ、参道を訪れる人を眺めておりました。

ある日、すらりと背の高い男の人がやってきました。まっすぐな鼻梁にはなめらかに眉が連り、涼しげな顔立ちですが、若さに不釣り合いなほど痩せていました。
男の人は蓮のそばのベンチに座って小川を眺めていました。
そこへ小さな男の子が駆けてきました。蓮が二人の方に首を傾けたとき、男の子は蓮を見て
「変な花。汚い色だよ。」
と言いました。蓮は驚き、恥ずかしさでつぼみをたれてしまいました。
「蓮は、それは見事な花が咲くんだよ。」
蓮ははっと顔を上げました。男の子はふうんというと、そば屋の方に駆けていってしまいました。それに気づいたそば屋の若旦那は男の人を見るなり驚いた顔でやってきました。
「おまえ、帰ってたのか。」
古木はようやく男の人が誰か思い出しました。昔、そば屋の息子と一緒に参道を通って小学校に通い、その後も時々深大寺に来ていた人でした。しかしいつからかふっつりと足が途絶えていたのです。
「元気だったか。」と笑う男の人を見たとき、友達は何か言おうと迷ったようでしたが、すぐ笑顔でいつ帰ってきたのかと尋ねました。二人で懐かしそうに言葉を交わしたあと、男の人は真剣な顔で「俺がいることを誰にも知らせないでくれ。」と言いました。友達はしばらく黙ると「わかった。」とだけ答え、店にも来てくれよと言って立ち去りました。
男の人は大きい腕時計を手で押さえて見ると立ち上がり、ゆっくり帰って行きました。
蓮はこれまで自分がどんな姿かということを考えたことがありませんでした。この日から蓮は水面をのぞき込むようになりました。蓮はどうにかして美しい自分を見ようとするのですが、くすんだつぼみを確かめてはため息をつきました。

男の人には家族がいました。お母さんは子供の頃になくなり、お父さんは新しいお母さんを迎えました。新しいお母さんは一生懸命に男の人をかわいがってくれました。まもなくお母さんに男の子が生まれました。家族はずっと幸せに暮らしていました。しかしその幸せは壊れました。
男の人は大学を出て、福岡の会社に就職を決めました。しかしお父さんは納得しませんでした。
「どうしてわざわざ福岡に行くんだ。」
「もう決めたんだ。」
「反対しているんじゃない。理由を聞いてるんだ。まさか死んだお母さんの田舎だからか。それともうちを出たいのか。」
「父さんには関係ないだろ。」
「関係ないわけないだろう!」
平穏な家庭の根っこに残っていた小さな痛みは、突然大きな陰になって現れました。
「どんな思いをして育てたと思ってる。」
「じゃあオレがどんな思いで我慢してきたと思うんだ。いつも遠慮して、居場所を分けてもらってると卑屈になってた俺の気持ちにおまえ、気づいてたか?」
「親に向かっておまえとは何だ!」
二人の怒鳴り声に気づいて部屋に入ってきたお母さんは、やりとりを聞くなり「わたしがダメだったの?」と絞り出すように言いました。
「そういうことじゃないんだよ。これ以上惨めにさせるのか?頼むから説明させないでくれ!」
「おまえ、今まで一言もそんなこと言わなかったじゃないか」
といってお父さんは泣き出してしまいました。二人はたまりにたまった悲しみや苦労をこれでもかと吐き出しあいました。そしてその言葉はお互いを深く傷つけたのでした。
二人が争いに疲れ果て、沈黙が流れた時、弟が高校から帰ってきました。いつも通り部屋に入ってきた弟は、父と兄を見るなり、家族の何かが壊れてしまったことを悟りました。弟にとってもそれは心のどこかで予期していたことだったのかも知れません。
弟の帰宅を合図のようにして兄は出て行きました。それきり、兄は家に帰っては来ませんでした。

男の人は調布に戻ってきました。そして毎日のように深大寺を訪れました。男の人は、時々誰に言うともなしに、「あまり時間はないのに」とつぶやくのでした。蓮は男の人がつぶやくたびにそっと葉の陰から男の人を見上げ、男の人が立ち去るときにはその姿を見送るのでした。
男の人が蓮を眺める時間は次第に増えていきました。いつしか男の人は蓮が自分の話を聞いてくれている気がして、蓮だけに気持ちを話すようになりました。
男の人はもうあまり生きられないことを教えてくれました。調布に帰ってきたのは、一番心残りなことを果たすためでした。「でもどうやって帰ればいいんだろう。俺が死ぬってことを、なんて言えばいいんだろう。」
蓮は男の人の話にじっと耳を傾け、涙をぽとりと落としました。蓮の涙は葉の上で弾み、水面に消えました。道行く人には蓮が風に揺れているようにしかみえなかったことでしょう。しかし、男の人は蓮が泣いているように思えてなりませんでした。
男の人はある時からふっつりとこなくなりました。時々そば屋の若旦那がベンチの方を見ては、店に戻って行きました。あの人は大丈夫だろうかと心配する蓮を古木は優しくなだめました。
数日後、別の人がベンチにやってきました。髪は真っ白ですが老人と言うにはまだ早く、背の高いそのおじさんは若旦那とベンチを指さして話しこみました。そしてベンチにくると一時も離れずに座っていました。おじさんが帰ったのは空に月が高く昇る頃でした。おじさんは来る日も来る日もベンチに座って参道の向こうを見つめていました。
そんな日が幾日続いたでしょうか。蓮のつぼみは次第にふくらみ、柔らかな色に変わっていきました。蓮は男の人を待ちこがれ、水面をのぞき込んでは日一日と変る自分の姿を悲しい顔で見つめるのでした。そしてとうとう蓮は花開きました。花の色はまだはかなげでしたが、行き交う参拝客は皆、足を止めて蓮の花に見入るのでした。蓮は咲いた姿を男の人に見て欲しくてたまりませんでした。しかしあの男の人は現れませんでした。
7日目の夜、いつものようにおじさんは帰って行きました。蓮は今日もがっかりして眠りにつきました。ひんやりした空気が降りてきた頃、蓮はベンチのきしむ音で目を覚ましました。顔を上げると、そこにはあの人が座っていました。男の人はいっそう痩せ、頬には深い陰が刻まれていました。
蓮はあれほど花を見せたいと思っていたのに、男の人を前にした途端その気持ちは消えていました。蓮は男の人の顔に刻まれた影をまっすぐにみつめたのでした。そのとき月の光が指し、蓮は昼の光には映らない突き抜けた白さに照らされました。
蓮は男の人の顔にあった迷いのひとかけらが消えたのを見ました。男の人は立ち上がるとまっすぐにおじさんが帰っていった方角に消えていきました。

「ただいま、母さん」
お母さんは小さく声を上げて息子をみつめました。そして確かめるように息子の肩や腕に手を当てると声を殺して泣きだしました。
「ごめんね、父さん」
お父さんは顔を真っ赤にして背中を丸め、息子の頭をぐしゃぐしゃになで、腕をしっかりつかんだまま放しませんでした。
弟は両親に内緒で福岡に兄を訪ねたことがありました。そのときからさらに背が伸び、髪を明るい色にしていましたが、鼻をつまんで泣くのをこらえる幼時のクセはそのままでした。そして一人笑いながら「兄ちゃん、お帰り。部屋そのまんまだぜ」と言いました。
男の人の部屋は、10年前のままでした。出て行った直後、お父さんはこの部屋を閉め切りました。しかし弟が両親に嘘をついて兄を訪ねたころから、お父さんは男の人が残していった荷物を、家族の記憶を頼りに戻していきました。この部屋だけはお父さんが掃除をしました。男の人はお父さんと二人で夜が更けるまでこの部屋で話をしました。

それから7日目の朝、男の人がやってきました。白髪のおじさんと、小柄で優しそうなおばさんと一緒でした。三人は友達のそば屋から出ると蓮のベンチに腰を下ろしました。男の人は座るのさえ大変そうで、腕を上げると時計は肘まで下がりました。おばさんは蓮を見て言いました。
「あなたは小さい頃、蓮の花をとろうとして、あそこの水生植物園の池に落ちかけたのよ。」
「え?」
「おまえ覚えてないのか。」
「お父さんがあわててあなたをつかんで、びっくりした弾みですごく怒ったのよね。」
「ああ、あのとき。」
「あなたそのとき、お花が欲しかったんだって言って泣いたの。わたしとおなかの赤ちゃんにあげようと思ったんだって言ってね。」
「あれ、蓮だったのか。綺麗な花だとしか覚えてなかった。」
「わたしあのとき、一生かけてあなたのお母さんになるぞと思ったのよ。」
お母さんは「ダメだったけどね。」といって涙ぐみ、ごめんね、かわいそうだったねと震える声で繰り返しながら目をぬぐいました。
「俺は子供になろうと思ってなかったんだな。」男の人は蓮の花を見つめて「今は思うよ」と言いました。
男の人は一人ベンチに残りました。男の人は蓮に触らないように気をつけながら、手を花びらのすぐそばにかざしました。蓮はこの人に会うのはたぶんこれが最後だと悟りました。蓮は花びらの水滴を男の人の手の上にそっと落としました。水滴は手の上で輝いて、すうっと消えました。
それが最後の別れになりました。

蓮の季節が過ぎ、8月も末の頃、黒い車と続く数台の車が参道から境内に入っていきました。明るい髪の、喪服に身を包んだ若者が蓮のいたベンチにきました。蓮の鉢には大きな葉だけが残り、小川には相変わらず澄んだ水が流れておりました。古木はこの若者にそっと枝をさしかけてやりました。若者は後から来た両親とベンチをみつめ、一緒に石段を登って境内に去っていきました。

(了)
 
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<著者紹介>
大野 春子(東京都調布市/30歳/女性/教員)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

14:21:04 | 第2回応募作品紹介(計33作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第2回応募作品>『深大寺恋物語』著者:Lily
2007 / 06 / 22 ( Fri )
深大寺の桜咲く3月、桜散りゆく3月、俺の愛すべき人がイッた。
彼女はいつも笑っていた。どんな時も、どんなことがあっても。
「ねぇ、りょう」彼女の声がまだ俺の耳元でこだまする。
「ねぇ、りょう」
いつも彼女が言っていた「ねぇ、りょう、ねぇ」

彼女は小柄で少しぽっちゃり目の女の子だった。俺と同じ年で二十五。でも、彼女は幼かった。幼なく見えた。少なくとも、俺には。同業者ではなったが彼女も一応、エンジニアとしてメーカーに勤めていた。

そんな彼女から突然の連絡。うちの母親に。
「りょう、元気? 今どこにいるの?」
「会いたいの。ここに連絡くれるように伝えて。」

約10年ぶりの再会。正直驚いた。
かえでは大学、就職とともに関西に行っていたと聞いていた。そんなかえでが何故俺に・・
怖さ半分、嬉しさ半分で待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせは俺達の地元、調布。

調布駅につくと、かえでが待っていた。
かえでは変わってなかった。一目でわかった。まぁ、幼馴染だっていうのもあるけど。
かえでは俺に気づいて真っ白い手を振った。夏だというのに。
「りょう! 変わってないね!」
オマエもだろーが!!と内心思ったけど、口にはしない。
「元気?」
「うん、りょうは?」
「元気」

普通の会話。
ホントにフツー。
でも、入社3年目の俺には妙に新鮮で、妙に暖かかった。




久々の地元、調布。
一応、デートコースは調べてある。

「おそば食べに行かない?」

彼女はとても素直だった。思ったことをすぐ発するし、悪いと思ったらすぐに謝り、喜び悲しみなどの喜怒哀楽がすぐ表情にでるとても、わかりやすい子だった。まだ子供だったころ、よく感情が表情に出すぎて、喧嘩したことさえある。でも、とても良い子だった。

「別にいいよ。」
折角考えたデートコースも台無しだ。と心の中でつぶやいたが、かえでが行きたいのなら別にいいやと思った。こいつの意見にはよく振り回されてきたし・・・違うな。こいつの行きたいとこなら、俺も行きたいから。


おそばは、昔からある玉乃屋。俺の考えたデートコースの神代植物公園の裏手だし。でも、小さい頃から調布にいるけど、ここには一度も入ったことなかったな。地元なだけに、家が近いからそばは帰って食べるから。

俺達はちょっとお昼には早かったのか、店の中の席へ通された。
かえでとこんな風に外食するなんて、想像もできなかった。

「ねぇ、りょう、何にする?」
「俺、山掛けそば。」
「じゃぁ、あたしも。」

相変わらず、自分で決められない性格だな。かえでは変わらない。俺は、笑った。

腹も満足したし、散歩がてら、深大寺をぐるり一周、そして神代植物公園にきた。ちょうどバラが見ごろを終えていた。もう夏だしな。
そのおかげか人も少なく、ゆっくりと散歩できた。見ごろを終えたといっても、まだバラの香が漂っている。残り香とでもいうのか。

かえでは、基本的に家にいるのが好きな方だ。俺は、そんな彼女をよく連れ出していた。あの頃は彼氏彼女に敏感な時期だったはずなのに、俺達はそんなの関係なしによく二人で遊びに行っていた。親同士が仲が良いというのもあるけど。特にこの深大寺周辺にはよくきた。彼女は自然が大好きだった。植物園もお寺も、そばも彼女は大好きだった。彼女はここにくるととても元気になる。彼女は体が弱いので、遠出は無理だからという理由もあるが、ここで二人とも大満足だった。

日も暮れ、別れの時間が近づいた。
今日一日でかえでに魅せられていた。
また、かえでとこうしてぶらぶら出来るだろうか。

会っている間、俺は彼女に今どこで、何をしているのか聞けなかった。というよりも、聞きたくなかった。せめて、この時間だけは昔のように居たいと思って。でも、別れが近づくとやはり聞きたい。今、どこにいて、何をして、そして、また会えるか。

「それじゃ、りょう、今日はありがと。」
「りょう・・・?どうかした?」

あの頃のかえでが俺を見ていた。

「オマエ、今どこに住んでんの?働いてんの?」

かえでが呆然と立ち尽くす。俺、なんか変なこと言っちまった?

「あれ?おばちゃんから、聞いてないの?私、今川崎にいるの。ちゃんと働いてるよ。」

「そう。。」
絶句してしまった。母親め。そんなこと一言も言ってなかったぞ。
落ち着きを取り戻して、俺は言った。

「なぁ、また会わねぇ?」


かえでが笑みを浮かべた。どういうこと?
かえではかばんをゴソゴソとしだして、携帯を取り出した。
「じゃぁ、番号教えて。」



それから、俺達は何度か会い、付き合いだした。会うところは調布、彼女の家など、様々だ。
かえでは仕事が忙しいらしく、家にはほとんどいない。彼女が働く土日があれば、ふたりで一緒に過ごす土日もある。


彼女はよく泣く女性だった。寂しいといっては泣き、テレビのドラマ、映画、漫画、小説、ありとあらゆるものに感動し、よく涙を流してた。俺は、そんな彼女の涙を拭いてやる男でいたいと思っていた。彼女が泣くときにそばにいるのは、この俺だと思っていた。

そんな彼女にはもう逢えない。今、こんなに逢いたいのに逢えない。


年が明けて、俺は一級建築士の資格を取るために勉強を始めた。
今の仕事は、建築家の補佐的な仕事。正直、給料も今の生活には問題ない。だが、かえでとの将来を考えて資格を取ろうと思いたった。

「俺、資格取ろうと思って。」
「え?なんのために?」

「お前との将来のため。」

「そんなことしなくていいよ」
子供をなだめるような、温かみのあるしゃべり方で言った。
「だって、会える時間少なくなっちゃう」

正直、何でかわからなかった。会える時間が多少少なくなろうと、かえでなら快諾し、応援してくれると思っていた。

長い沈黙のあと、最後の言葉を発した。
「俺の好きなことをやらせてくれよ。」

「わかったよ。頑張ってね。」
彼女は笑顔で理解を示した。
彼女はどんな気持ちだったのだろう。


その後、彼女とは、最近は1ヶ月に1回会えばいいほうだった。俺は、資格試験の勉強に加え、フットサルのチームに入っていたり、バイクに夢中になっていたため、平日の夜も予定があることが多く、更に、彼女と逢う回数が激減した。

俺が、色々なことに夢中になっている間、彼女は何を考えていたのだろう?
大切にしていると思っていた自分がバカだったのかも知れない。
大切なものは、いつもなくなってから気づく。

そんな生活を続けていた3月24日。突然、母親から電話があった。
「りょう、今すぐ家へ帰ってらっしゃい。」
「はぁ??何で?」

「かえでちゃんが、亡くなったわ。」
俺は、絶句した。なんで?その言葉が、頭の中を回りっていた。実家に帰る途中の景色も、遠くに見える深大寺も、自分がどうやって切符を買ったのかすら覚えていない。

かえでとのことを考えていた。
そういえば、会ったのは3週間前だったっけ。最近は、メールばっかりだったもんな。
電話はいつしたっけ?

大切にしていると思ってた。ずっと隣で笑って欲しいと思ってた。ずっと彼女を見ていたいと思ってた。


家に帰るともうかえではいなかった。
家に挨拶に来ていたかえでの母親が言った。
「りょうくん、ありがとう。かえで、こっちに帰ってきて毎日とても楽しそうだったわ。」

葬儀は翌日行われた。俺も参列した。
かえでの葬儀らしく、祭壇が花と緑にあふれていた。
きっと、大好きな調布の土地に帰っていくんだなと思いながら、送った。




資格を取ったら、プロポーズするつもりだった。
俺は彼女を愛している。そう、いまでも。だが、もう逢えない。
彼女は俺に愛をくれた。彼女はいつもそばにいた。よく、電話もくれるし、いつも俺を心配してた。俺は彼女に変なやきもちを焼くし、いざというとき、そばにいてやれなかった。

彼女は俺の名前を呼んだだろうか?

今、何をいっても伝わらないし、伝えられない。彼女の占めていた部分がこんなにも大きかったとは。俺はこの先どうなるだろう。


後で母親に聞いた話だが、かえでは俺達が再会した夏、もう長く生きられないことをわかっていたそうだ。だから、どうしても俺に逢いたいと母親に言ったそうだ。自分のことを一番良く知ってる俺に。小さい頃からずっと好きだった俺に。
再開の場所を決めたのはかえでだった。昔よく遊んだ調布で、縁結びの寺である深大寺。
彼女はそういえば、お寺に祈ってたな。

「何祈ってるの?」
「秘密! 叶ったら、教えてあげる」

「りょうは?」
「俺?」

「俺も叶ったら、教える」
「叶うといいね。」
最後の言葉が少し、弱弱しかったのを覚えている。

1ヶ月後、かえでから手紙が来た。
たった一行の文章なのに、きちんと封書で送られてきた。
「叶わなかったけど、教えてあげる。
“ずっと、りょうと一緒に居たいです”って祈ったの。」


手紙の消印は、3月23日だった。

俺は、こう祈ったんだよ。
「かえでと一緒に居たい」って。

これから、彼女に逢いに行こう。

(了)
 
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<著者紹介>
Lily(東京都/26歳/女性)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

17:17:49 | 第2回応募作品紹介(計33作品) | page top↑
<第2回応募作品>『何時の間にかセレナーデ』著者:七草 クルミ
2007 / 06 / 15 ( Fri )
 しっとりと落ち着いた緑が生い茂り、土産物や楽焼工房、情緒ある店並が幾つも軒を連ねた深大寺の際。佐々木美奈が足を止めた蕎麦屋は、参道へと続くその一角にあった。
時刻は十時を回った頃。店先に立つ美奈の鼻先を、ふんわりとふくよかな香りが掠めてゆく。美奈は、その正体を知っていた。チラリと店内に目をやると、思った通り、店主らしき人物が蕎麦を打っている。それを見るなり、美奈は顔を歪め、忌々しげに舌打ちした。
大学のサークル仲間、宮本圭悟の挑戦を受けてしまったから、美奈は仕方なくここにいるのだ。そうでなければ、わざわざ蕎麦屋になど足を運ぶ訳がない。
苛々と通りに視線を投げていた美奈は、ふと耳を過ぎった声に、呆気なくその臨戦態勢を解いた。
クーン、クーン。
また聞こえる。すぐ傍だ。身体ごと振り向いてみると、茶色の小さな獣は、そこにいた。
まだ仔犬だった。紫陽花の咲くこの季節、昨夜の雨露を含んだ藍色の花房の下で、黒い宝石のような丸い目が、じっと美奈を見上げている。
どちらかと言えば、尖った雰囲気と評されることの多い美奈だが、こと犬に対してだけは例外だった。
「あんた何しとるの?」
声をかけながら、たちまち下がっていく目尻と緩んだ口元。美奈の表情は優しく崩れる。
九州出身の美奈は、東京に出てきてまだ三ヶ月だった。一人暮らしを始めて何が一番寂しいかと言えば、慣れない人間関係でも環境でもなく、犬が傍にいないことだ。実家で飼っていた茶色の柴犬、ロミは、姉妹のいない美奈の妹分とも言える存在だったから。
紫陽花の下に佇む仔犬は、毛色こそ黒いものの、目元はロミにそっくりの柴犬である。美奈が手を差しのべると、仔犬は嬉しそうに顔を突き出した。尻尾をちぎれんばかりに振りながら、小さな舌で舐めてくる。思わず抱き上げてみれば、うっすらと濡れた毛並みから、雨の匂いがした。
「ジュリっていうんですよ」
丁度表に出てきた店の人が教えてくれた。
「へえ、ジュリね。お前もなかなかいい名前じゃないか」
そう言ってジュリの顔を覗き込んだところで、美奈は当初の目的を思い出した。
圭吾との待ち合わせ場所は、この蕎麦屋の前。彼曰く、開店時間ぴったりにということだったが、この店の雰囲気からすると、どうやら未だ準備中らしい。
「こちらのお店は、何時に開くとですか?」
「すみませんねえ、十一時からなんですよ。もう少しお待ち頂くことになりますが」
はあそうですか、と無難な言葉を返しながら、美奈の機嫌は再び降下した。おおよそ、あと五十分近くある。
どうせ、あのトロそうな奴のことだ。至高の日本蕎麦を食べさせるなどと豪語しておきながら、時間を間違えたに違いない。十時に開くというから、きっちり来てやったというのに。
いっそ、このまま帰ってやろうかとも思ったが、腕の中に閉じ込めたままのジュリを見て、ふと考えた。 
「ね、お姉さん。この子、今日はお散歩すんどる? もしまだやったら、私が連れて行ってもよかですかね?」
思いついたことは、すぐに口に出す。時折そのせいで酷く後悔したりもするのだが、どうしても止められない美奈の性質だった。しかし意外にも、蕎麦屋の女性は、二つ返事で柴犬のリードを渡してくれた。

佐々木美奈とは、四月に通い始めた大学のサークルで知り合った。熊本県出身で、好きなものは犬と紫色の花。少々九州訛りを残した言葉が初々しく、素朴な土の香りがする。
宮本圭吾は、そんな彼女に初対面から好感を持っていた。更に『そば』に目がないというプロフィールまで付加されれば、興味を持たぬ訳がない。圭吾は無類の日本蕎麦好きだったからだ。
ところが先日、サークル内で大学祭の企画が持ち上がった時のことである。圭悟はその席で、日本蕎麦の模擬店を出そうと提案したのだった。
「麺作りからやるんだ。受けると思うぜ」
お前出来るのか、という仲間の言葉に、もちろん、と圭吾は胸を張った。圭吾の蕎麦打ちは、蕎麦職人の叔父直伝だ。そこそこ美味いと言わせられる自信はあった。だが、
「蕎麦店はつまらん」
横合いから水を差したのが、美奈だった。
「なんで駄目なんだよ? あんただって、蕎麦好きなんだろ?」
「私が好きなのは、中華そば。日本蕎麦は好かん」
美奈の言う『そば』とは、中華そばのことだったのだ。それには納得したが、だからと言って、日本蕎麦を一刀両断にしなくても良いだろう。圭吾は無性に腹立たしくなった。
「あんたの好みはそうかもしれねえけど、日本人なら日本蕎麦だ」
美奈は、ふんと鼻で笑った。
「日本人イコール日本蕎麦? ずいぶんと単細胞な展開だね。よか? 日本は海外の多様な文化を取り入れて吸収し、それを自らの食文化に根付かせて来たとよ。中華そばこそが、今じゃ国民人気のNO1なの」
既に話題はサークルの模擬店から、日本と中華の蕎麦対決に変わってしまっていたが、二人の言い争いを止める者はいなかった。
圭悟の脳裏を、ひたすら蕎麦に情熱を捧げた叔父の姿が過ぎった。
いつも蕎麦の温度に気を配り、蕎麦が風邪を引かないようにと工夫を凝らす。頑固なこだわりと溢れんばかりの研究心、水や蕎麦粉のみならず、道具の一つ一つにまで決して妥協はしない。蕎麦好きが高じてサラリーマンから足を洗い、とうとう蕎麦作りに専念するようになった叔父を、圭悟は密かに尊敬していた。
叔父が、蕎麦打ちの最中に急死したのは、五年前の春だった。
「最後まで情熱の中で生きられたのだから、あの人も本望だったと思います」
きっぱりとそう言った叔母の姿に、圭悟は感動を覚えた。
大事なのは命の長さではなく、その中でどう生きるのかという事。蕎麦に捧げた叔父の生き方は、圭吾に鮮烈な思いを残した。
だからこそ、美奈の言葉は許せなかった。圭悟にとっては、日本蕎麦を罵倒する者は、叔父を侮辱するにも等しい。それほどまで言うなら、美味い日本蕎麦というものを食べさせてやる。そして、前言を撤回させてやる。
宮本圭悟が佐々木美奈に挑戦状を叩き付けるに至るまでには、こんな経過があったのだ。
 しかし、その決戦当日。圭吾は必死で目的地へと走っていた。意気込みだけで最終確認を怠っていたのだ。まったく、開店時間を読み間違えるなんて、どうかしている。
 とっくに帰ってしまったと思っていた。だから、黒い柴犬を連れた美奈に蕎麦屋の前で出くわした時、圭吾は思わず言葉を失った。

美奈の実家は、熊本で小さな中華そば店を営んでいた。近くには老舗の日本蕎麦店があって、晦日ともなると店員を増員し、即売店を出す程の賑わいをみせる。それに対して、実家の経営状況はあまり芳しくなく、美奈の父親は、その店に酷く劣等感を持っていた。
「あんな偏狭な性格だから、店も流行らんかったんよ。日本蕎麦のせいじゃなかね」
美奈は小さな声でそう言って、最後の麺をすすった。
本日一番乗りのお客のための蕎麦。新蕎麦にこだわる人なら避けるかもしれない今の季節でも、その艶やかな喉越しと歯触りは、美奈の心を柔らかく解きほぐす。
今時珍しい話だが、美奈は、日本蕎麦を食べたことがなかった。機会を与えられることの無い生活環境に加え、親から叩き込まれた日本蕎麦に対するひけ目とライバル心が、更に美奈の反発心を煽った。そしていつしか、蕎麦と聞いただけで鳥肌がたつようになってしまったのだ。
「本当は、一度食べてみたかったの。けど、親を裏切るみたいじゃなか?」
箸を置いて苦笑する美奈に、圭吾は八割方の期待を持って尋ねてみた。
「んで、結果はどうよ?」
「美味しかったよ、悔しかなあ」
照れ臭そうに顔を背けた美奈の視線の先には、道端一杯に広がる紫陽花があった。その葉陰から仔犬の尻尾がぱたぱたと揺れている。
美奈が好きなものは、犬と青い花。
圭吾が好きなものは、日本蕎麦と土の香り。
心地良いものに囲まれていれば、人間誰でも素直になれるものかもしれない。
「また、散歩に連れていきたかな。ね、今度はいつ食べにくる?」
美奈はそう言って、穏やかに笑った。
「ジュリの都合次第だな」
 圭吾は答えて、仔犬の上で揺れる青い花房に目を細めた。

(了)
 
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<著者紹介>
七草 クルミ(東京都小平市/26歳/女性/グラフィックデザイナー)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

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<第2回応募作品>『なんじゃもんじゃの木の前で』著者:大谷 重司
2007 / 06 / 08 ( Fri )
 哲也が自分のアパートの近くに奇妙な名前の木があることを知ったのは、見知らぬメールの相手の書き込みからだった。「なんじゃもんじゃの木」と一度聞けば覚えてしまうおもしろい名前だった。その木がどんな木だろうと彼にとってあまり意味はない。問題はなんじゃもんじゃの木の前でメールフレンドと初対面を果たす事だけが大切なことだった。
 秋空の抜けるような鮮やかな青に細井雲の群れがうっすらと色を淡くしてきた。深大寺に隣接する神代植物公園でバラフェスタをやっているということを彼女のメールから知った。入り口を眺めると大勢の人たちでにぎわっていた。神代植物公園の入り口にはバスを待つ人たちが行列をなしている。
 哲也は一人ではバラフェスタのイベントなどに来ることなど考えたこともなかったが、週末の夕方にバラの芝生でボサノバライブを聞いてみるのもいいかと考えた。それには二人で来るのが良いに違いない。
 熱風を吐き出すバスが大勢の人を詰め込んで通り過ぎた。太った初老の男女がバスの中でひしめいているのが見えた。小さな真紅のバラを抱えている人が目立つ。優雅なバラの香りが漂っていた。
哲也はこの調布でソフト開発の会社に入って三年になるが、会社から歩いて五分のところにアパートがあるため、深大寺の周辺を気晴らしに散策することが多かった。そんな時に、気まぐれにバラの鉢を買った。だが、手入れの方法が判らずネットであちこち調べていた。そのうちに掲示板で親切な人と知り合うことができた。その相手が女性で同じ町内に住んでいることが判り、とうとう会うことになったのだ。
相手の女性は待ち合わせの場所に深大寺の「なんじゃもんじゃの木」の前を指定してきた。しかし哲也は花や植物に関して詳しくない。なんじゃもんじゃの木がどんな木なのか、どこにあるのかもしらなかった。さらに強度の近視でほとんどのものがぼやけて見えていた。なんとか約束の五時に間に合えばいいと考えていた。携帯電話番号や携帯電話のメールアドレスを遠慮して聞き出さずにいたのだった。
 どこをどう歩いているのかバス通を歩いていたが、林があったりして道がわからなくなっていた。
 どこかで道を尋ねないといけない。店らしき所を探し、暖簾をくぐると素朴なそばの匂いがした。笑顔で迎えてくれたおばさんと眼があった。
「あの、このあたりに、なんじゃもんじゃの木ってのがあるって聞いたんですが……」
 笑顔のおばさんは一瞬瞬きをしてから頭を傾げた。
「そうだねえ、なんじゃもんじゃの木ならこの店の前の坂道を登ってさ、突き当たりの嚏字路にある太い木がそれだよ」
 哲也は言われた通に歩いてみた。古いそば屋が何件も並んでいた。水車があったり、龍の形をした鉄の口から水を流していたりと歴史を感じさせた。
 言われた通に歩いていたが、それらしき道にこない。約束の時間は迫ってくるが、たどり着けそうになかった。辺りは木が多いためか夕暮れが早いようにも思えた。果たしてなんじゃもんじゃの木とはどんな木なのかを聞いておけばよかったと後悔した。
夕闇が木立を黒く染め、ムクドリの羽ばたきが木陰から聞こえた。時計を見ると約束の五時を遥かに過ぎていた。目の前にはのっぺりとした大木が立っていた。巨木は大きな枝を力強く広く伸ばしていた。巨木がなんじゃもんじゃの木だと知るのは後のことだった。すっかり暗くなった道を哲也は大きな街道まで戻った。
 彼はアパートに戻ってから、なんじゃもんじゃの木をウェブで探してみた。「その土地の道しるべとなる巨木で、6月にはヘリコプターのような形の白い花が咲く」ということが分かった。彼女はどこからでも見える巨大な木なら目印にいいと思ったのだろう。即座に哲也はメールを打ち込んだ。道に迷ってしまい、どこになんじゃもんじゃの木があるのかが分からなかったことを。さらに勇気を出してあまり眼がよく見えないことを書き添えておいた。それから明日の日曜日にこそ確実に会うことができるようにと自分の携帯電話番号を書き添えておいた。
 メールの前後から想像して、彼女は神代植物園で働いているか、深大寺のどこかの花屋で働いているのではないかと思っていた。バラのことを質問しても即座に的確な答えが帰ってきた。それが趣味からくる知識なのか、専門的な知識なのかは分からない。
 夜中に彼女からメールが届いた。約束の5時から三十分、待っていたこと。バラフェスタでいっしょにライトアップされたバラ園を見にいきたいがライブ演奏には興味がないという。仕事ガ終わった五時になんじゃもんじゃの木の前で赤いふうせんを持って行くという。最後に嫌われるかもしれないと書き添えてあった。
 哲也は不思議だった。赤いふうせんは、こちらから見やすくするためだろうが、ライブには興味がないというのはどうしてなのだ。思ったよりも年長の女性なのかもしれない。それに今回も携帯電話番号を教えてくれなかった。
 とりあえずはバラの栽培のアドバイスのお礼をする。そして神代植物公園でバラ見物といきたかった。
 翌日の日曜日、早めになんじゃもんじゃの木の前に行っていた。哲也はなんじゃもんじゃの木のそばでじっくり眺めた。あまりにも巨木で高さがどこまであるのか分からない。花が雪が降ったように咲くとはどんなものか想像できなかった。そうしている間にも緊張していた。時計を見ると五時までには十八分ある。
 彼女のメールの書き込みを思い出した。
「バラは絶えず病気との戦。害虫にも狙われる。でも心をこめると必ず大輪の花弁をつけて答えてくれる……」
 バラに感情移入する女性とは、何か秘ごとがあるに違いない。
 哲也は普段は箪笥にしまいこんである黒縁の眼がねをかけてきた。部厚い眼鏡をするのは恥ずかしかったが、彼女の姿をはっきりと見ておきたかった。
 カラスの群が騒がしく声を上げて深大寺の屋根の上を飛来した。静けさが増した。
 道路から視線を上に上げると一人の女性がこちらに向かってきた。哲也の胸は締め付けられるように呼吸が止まった。近づいてきた女性の手には赤い物が見えた。風船を持った女性がこちらを見ている。その眼は恥じらいで下を向いた。痩せた肩、乾いて薄い額の上にカールした前髪があった。彼女は顔を上げ真剣な顔をしてから、細い腕を動かした。彼女は自分の耳に手をあてて両手でクロスした。
 黒縁の目がねに張り付いた薄暗い空は動かず凸レンズに隠れた石灰石のような瞳は動かない。二人の間に重い沈黙があった。哲也は彼女の目を見つめてうなずいた。これまで携帯電話の番号を教えてくれなかったことも、ライブには興味がないとメールに書いていたこともなにもかも納得することができた。
 彼女は鞄からメモ帳を取り出してボールペンで書き始めた。
「私は神代植物公園の職員です。バラの栽培が専門です。私の育てたバラたちを見てください。それから、あのバラは元気にしてますか?」
 哲也はポケットから写真を取り出して見せた。バラの写真を覗き込んだ彼女は初めて笑った。哲也は彼女の持っていたメモ帳にボールペンを走らせてお礼の言葉を書いた。顔を見ているよりもメールのやり取りの調子が出てきて切れ目なく文字が出てきた。
 彼女は薬害で高熱から耳が聞こえなくなったという。何年も病気と闘ってきて、花に癒されてきた。そしていつしかバラを栽培する仕事についたのだと言う。
「ねえ、これってチャットしてるのと変わりないね」
 彼女は上目図解をして見つめてから
「これはチャットではありません。筆記ですから……」
「そうか筆記ですか、それならチャーント筆記します」
 哲也は「チャーント」の横線を長く引っ張った。彼女はそれを見て笑い声を上げた。無邪気な笑い声だった。彼女の持っていた赤い風船が振動した。早船哲也はそれを見て思いついた。風船に向かってハミングした。風船は細かく震えた。
「野外ライブに風船を持っていこう。こんな風にするんだ」
 風船を彼女に触らせて声を出してみた。彼女は風船をしばらく触ってからニコニコしてウナズイタ。
 哲也は彼女の前に手を出した。彼女は自然に手を握ってきた。そして二人は神代植物公園に向かって歩いた。
 二人の後ろ姿は、植物公園の大勢の人たちに紛れてしまった。

(了)
 
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<著者紹介>
大谷 重司(東京都調布市/48歳/男性/鍼灸師)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

17:23:15 | 第2回応募作品紹介(計33作品) | トラックバック(0) | page top↑
<第2回応募作品>『恋愛方程式』著者:柳場 篤
2007 / 06 / 01 ( Fri )
「俊彦、久しぶりに深大寺に行っておそば蕎麦でも食べようよ!」
姉の香織が僕を昼食に誘ったのは、五月のよく晴れた土曜日の昼前で、なかば強引に連れ出された。
 我が家は調布市の野川のほとりに位置し、深大寺にも徒歩で気軽に行ける距離にある。普段は感じないが、年末年始などの時期には、渋滞の車を尻目に見てかっぽ闊歩することに優越感を見出していた。
 姉はこのところ上機嫌だ。挙式が来月に迫っており、公私ともに充実しているからである。
 「俊彦、今日は恋愛がじょうじゅ成就する方法を教えてあげる。方程式と呼んでもいいかな?」
 「えっ、何それ?そんなの本当にあるの?」
僕は立ち止まり、姉の顔をまざまざと見つめてつぶやいた。
 「ふふっ、あんたも興味があるんだ!」
姉はニヤッと笑い、僕の気持ちを見透かすようにいたずら悪戯っぽい目で僕の顔を見つめ返す。
 「そりゃあ、誰だって気になるよ、そんなことを聞けば!」僕は照れながら言い返す。
 「ごめん。少しからかってみたかったの。でも、方程式は本当にあるのよ。実際に私が実践したんだから!」
 姉は真顔になり、いつになく興奮気味に話しかける。
 「深大寺が縁結びで有名なのは知っていると思うけど、ただお参りすればいいというものではないの。他にも大切なことがあるのよ!」
 ジーパンに赤いトレーナーを着た姉の歩く速度が落ち、会話に熱がこもる。
 綿のスラックスに半袖のポロシャツを着こんだ僕も、姉の熱意が伝わってきたようで次第に汗ばんできた。  
      
 姉は俗にいうみそじ三十路である。大学の同級生との失恋が尾を引き、しばらく暗い生活が続いた。その後、失恋の痛手から立ち直り、勤務先の先輩と職場恋愛を実らせ、寿退社へと着実に人生を歩んでいる。
 「これから言うことは茶化さないで、真面目に聞いてちょうだい。でも前もって話しておくけど、一番大切なことは相手への思いやりなの。忘れないでね」
 今日の姉の言葉にはいつもと違って、妙に説得力があり、素直に僕の心に響いてくる。
 いつの間にか僕たちは住宅街を通り過ぎ、深大寺の門前へと続く歩道を歩いていた。
 歩道の両側にはそばや蕎麦屋が目立ち始め、盆栽・庭石などの造園業、みやげ土産物屋、喫茶店なども視野に入ってきた。

 深大寺は浅草寺についで古い歴史を持つ寺で、厄除け、商売繁盛、縁結びのご利益がある寺として有名である。
僕たちは我が家のしきたりに従って、門前通りから山門へと向かった。門前通りの両側には店頭に各種の土産物を置いた店が立ち並び、老若男女でにぎ賑わっている。
僕たちは門前通りの賑わいを眺めながら山門をくぐった。この山門は桃山時代の建築でケヤキを使い、分厚い草葺の屋根が落ち着いた雰囲気をかも醸しだしている。
本堂を礼拝し、次に良縁じょうじゅ成就を祈願する元三大師堂にも二礼二拍手一礼で礼拝した。
毎年、三月の三日・四日には厄除け元三大師大祭が催され、同時に催されるダルマ市は日本三大ダルマ市の一つとして有名である。
深大寺周辺の土産物屋には大小のカラフルなダルマが居並び、代表的な土産のひとつとなっている。

境内を出ようとした時に姉がおもむろに話しかけてきた。
「俊彦、当たり前のことだけど、お参りはできるだけ好きな相手と一緒にした方がいいのよ。時期は正月でなくてもいいから。深大寺を案内するからと言って、立ち寄ることがポイントなのよ!植物が好きなら、神代植物公園に行った後に立ち寄ればいいの」
「なるほど、自然にふるま振舞えばいいんだね」僕は素直に納得し、次の言葉を待った。
「そして、ダルマを買うの!」
「えっ、どうしてダルマなの?受験とか選挙ならわかるけれど」
「縁起ダルマとしてちい小さなものを買うの。好きな相手と2人で来たときには、二つ買うのよ。そして、ここからがミソなの。ダルマの目にはハートのマークを入れるの。色はできれば赤がいいわねぇ。そして、相手が入れたものを一つずつ持ち合うの」
「うーん。それって、子供っぽくない?相手に馬鹿にされそうだけれど!」
僕は照れ気味に反論したが、姉は強気に言い放った。
「男性には理解できないと思うけれど、女性はかたち形があるものを持ちたがるの。女の習性かもしれないけれど、持つことで不安が解消されるの。女には形あるものが必要だし、なぜかひ惹かれるのよ」
「そう言われると、そんなものかなぁと思えてきたけれど。女って、本当に不可解だね」
「そうよ、だからおもしろ面白いのよ。女は単純に見えて、単純じゃないの。女のさが性は怖いのよ。指輪を欲しがるのも女の習性なの。愛の究極の形としては、妊娠することかもしれないわね。愛の証として子供が欲しくなるものなのよ。これは余計なことだったわ」
僕は複雑な気持ちで姉の言葉の意味を理解しようとしていた。
それを察知したように姉が話題を変える。
「さあ、お昼にしましょう」
僕たちは近くのそばや蕎麦屋に入り、それぞれ好みの蕎麦とビールを注文した。
「ねぇ、俊彦、彼女とはうまくいっているの?正直に話しなさい」
姉はおいし美味しそうにビールを飲みながら、僕の目を笑顔で見つめる。
「うん、まあまあだね」と僕は取りあえずあいまい曖昧に答え、ビールに口をつけた。
僕は二十七歳になるが、結婚についてのあせ焦りはない。姉と同じように、勤務先に恋人がいる。関係はうまくいっていると思っている。
「彼女を大事にしなさいね。さて、さっきの続きだけれど、もう一つ大切なことがあるのよ」
姉が真顔で話し始めた。
「二人で深大寺を参拝した後、名物のおまん饅じゅう頭をお土産として相手の家に持ち帰らせるの。これがとても大事なことなの」
「どういう意味があるの?」と僕は思わず聞き返した。
「現代っ子はカラッとしていて、なかなか気づかないけれど。相手の両親に対するきづか気遣いなのよ。情緒のあるところをそれとなく見せるの」
「なるほど、よく理解できるよ。お饅頭なら、嫌いな人はほとんどいないからね」
「そうなの。気のき利いたところを見せて、ご両親の歓心を得るのよ。お饅頭といえども、お饅頭の効果ははか計り知れないものがあるの!馬鹿にできないアイテムなのよ」
「姉さん、よく判るよ。もちろん、婚約者には実践したんだよね?」
「当たり前でしょ。実践して結果が良かったから教えてあげてるの。あまり知れ渡ると効果が無くなるから、気をつけなさい!」
 「姉さん、ありがとう。必要な時がきたら、試してみるよ」
「馬鹿ね!試してみるのではなく、後がないと思って真剣に行動するのよ。思いやりを持って実践しないと、相手にも気持ちが通じないし、決してうまくいかないから!」
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。今日、姉さんが話してくれたことは大切にするよ」
二人とも笑顔でビールを飲み干し、注文した蕎麦にはし箸をつけ始めた。

僕たちは蕎麦屋を後にし、再び歩道を歩き始める。
豊かな自然のなかをゆっくりと歩く。静けさが気持ちよく、一歩一歩踏みしめて歩く。なぜか歴史の重みを感じ始めていた。
僕にとっての深大寺が大きく変わろうとしていた。
姉の話を聞いたからなのだろう。深大寺へのイメージが今までと異なり、より近づきやすいものに思えてきた。
縁結びの神様をまつっている深大寺。その深大寺の周囲には豊かな自然や花と緑が満ち溢れている。
このような環境のなかで、神様は静かに恋人たちを見守ってくれるのだろう。神様にも静かな環境は必要だ、と僕は思う。そうでないと神様だってきっと、間違った判断をしてしまうのではないだろうか。
その結果として、相性の悪い相手と縁を結ばれては泣くに泣けない。
姉の言うとおり、神様にお祈りするだけでなく、思いやりのある行動をとるべきなのだろう。とるべきというよりも、必然的にとってしまうのだろう。
姉のような感性があれば、自然に生きていくすべ術が身につくのかもしれない。そこにちょっとしたエッセンスが加われば、より確かなものになっていくのだと僕には思えた。
そんな姉がいと愛しく思えてきた。何か言わなければと口を開きかけた矢先、僕は腕をつかまれていた。
「いけない。美味しいお饅頭を忘れていたわ!店を教えてあげるから戻りましょう」
僕たちは深大寺へと再び足を向けた。

(了)
 
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<著者紹介>
柳場 篤(埼玉県入間市/53歳/男性/会社員)

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

17:19:12 | 第2回応募作品紹介(計33作品) | トラックバック(0) | page top↑
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